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またいくつかの呪文をキャシーに向けて、シンディの祖母は床に手をついて、息を整えている。
かなり苦しそうに、顔を上げられないまま、流れる汗が床をぬらすのを目に映している。
しばらくするとふ…と、キャシーがいることを思い出したかのように顔をあげ──
キャシーと目が合うと、その目が怒りや恐怖に揺らぎ、全身から彼女の負の感情を示す暗い色のオーラが噴き出し、叫ぶ。
それはわけのわからない言葉だったり、呪文であったり、呪詛であったりする。
それを先程から、幾度となく繰り返している。
最初は、なんだか威圧感のあるキャシーをどけたくて、いなくなって欲しくて、魔力が回復するごとに呪文を叫んでいるのだと思っていた。
しかしずっと見ていると、とにかく不思議だ、という気持ちが強くわきあがってきた。
──魔法を反射的に、爆発的に使う要因は一体何だろう。
彼女のごちゃ混ぜな暗い色のオーラをよく見ると、恐怖というよりは、怒りの念が伝わってくる。
オーラもそれを示しているが、一体どういうことだろう。
何に怒っているのだろう。
そして──
「"βυρν υπ τηατ γιρλ, øλαμε!"」
呪文と共に放たれた地響きと、それを避けようとして飛び上がった時に上から降ってくる炎の玉。
キャシーは飛んで炎を避け、そのまま結界に吸収させ、空中から祖母を見つめた。
そして、哀しみ。
深い深い哀しみが、見える。
怒りと哀しみを、何故私に向けるのだろう。
少しずつ、何か違和感を覚える。
じっと祖母の目を見つめる。
彼女も私を見つめ返している。
──…私に、じゃない?
ふ…とそんな気がした。
彼女は私を通して、『誰か』を見ている。
見ているとすれば、多分それは分かりやすい。
私は彼女に会うのが今日が初めてだから、多分何も恨みを買うようなことはしていないはずだ。
だとすれば、例えば私の名──"レベル"の名を騙る魔法使いに何かされたとか。
レベルが自分より上の人間を総称して見ているのか。
だがそれでは怒りだけだ。
哀しみはどこから来るのだろう。
「…」
キャシーは迷った。
これ以上彼女の精神をかき回してもよいものか。
でも、もし、"レベル"の名を騙る魔法使いに何かをされたと仮定したら、その魔法使いを突き止めなくてはならない。それはキャシーの使命を広い意味で捉えたら、入ってくる内容だ。
ぐっと唇を噛んで、覚悟を決めた。
──いや、この方法でおばあさんの魔力を出し尽くさせることを決めた時、私は鬼になると決めたのだから。
「"ι ωιση ι χαν øατηομ ηερ δεεπ πσψχηολογψ.
σομεονε, πλεασε χλεδ ποωερ øορ τηατ"」
こんな方法をとって…彼女は私を許せないかもしれない。
許してくれとは言えないけど──…
結界の中に、灰色、いや、ほとんど黒い煙のようなものが立ち込め始めた。
それはゆっくりと、キャシーとシンディの祖母のまわりをまわりながら、結界中を埋め尽くしていく。
「キャシー!!」
「おばあちゃん!!」
アデューイとシンディが叫び、パメラとユーロパが息をのんだ。
キャシーが唱えたのは、『心』を読み取る魔法。
これも本当は禁忌の魔法の1つである。
それでもキャシーがこれを知っているのには、身を守るために必要と言われてやむなくだ。
オーラで見えるわけだが、それがどの程度確かなのか、どのくらいの精度なのかは彼女以外に分かる人はいない。
だから学者たちはキャシーの身を心配した結果、彼女がこの魔法を使うことを許した──無論、やむを得ない場合のみである。
キャシー自身、人の心に踏み込むのは嫌なので、今まで使ったことはなかった。
でも。
ついに、今、この場合が「やむを得ない場合」のような気がして、踏み切った。
最後まで引っかかった問題は、この魔法を使って、その『心』つまり、考えていることや感じていること、思っていること、をキャシーが読み取る間、読み取られている側は読まれているその『心』をもう一度引き起こされることである。
その直前に抱いていた感情を、もう一度体感させられるのだ。
それが楽しい嬉しいといった明るい感情ならよいが。
せっかく過ぎ去った爆発的な怒りや哀しみといった負の感情なら──
間違いなく、祖母の精神をかき回してしまうように思えた。
どこかが溶けるような、蕩けるような、不思議な感覚を抱いた後、見えてきたのは。
あどけない少女の笑顔。
若い女性の笑顔。
ふ…と彼女が振り返ると、そこにいたのは。
光るXと示された青い水晶を胸元に付けた男。
次の瞬間には、彼女の長い髪が地面に広がっており…
「───…!」
キャシーはハッとした。
その瞬間、黒い靄は一気に晴れた。
結界の外から見ていたシンディたちは皆ほっとしたが、キャシーは愕然としていた。
これは──記憶の断片だ。
彼女が持っている深い闇の記憶が、"レベル"の圧倒的な気を感じたことで引き起こされ、恐怖と怒り、哀しみの念を抱いているのだ。
最初の少女は倒れた女性の幼い時の姿で…
レベルXの魔法使いによってその女性は殺された。
その場に自分がいればもしかしたら救えたかもしれない、それが哀しみ。
──こんなことがあったの。
「私のことを、あの魔法使いとみなしてるのね」
ぽつん、と言った。
レベルXという強大な力を持った魔法使い、それが何故か牙をむいたという恐怖。
あの女性を殺された怒り。悲しみ。
そして彼女を救えなかった哀しみと、自分への怒り。
キャシーがそう言った瞬間、シンディの祖母は──
ふっ…と顔を上げた。
キャシーと、目が合った。
その見開いた真紅の眼が捉えたのはキャシーではなく、あのレベルXの魔法使いだった。
「あああぁ────…っ!!!」
シンディの祖母の絶叫が、大きな波動となってキャシーに向かう。
キャシーはハッとした。
───これは、今までの単なる呪詛じゃない。
そんなものでは済まない叫び──…
キャシーはとっさに防御壁を張って衝撃に備えた。
結界はもつだろうか、そんな不安さえ抱くほどにその波動は強力だった。
…悲痛だった。
耳をつんざくような波動が駆け巡る。
彼女の悲痛な叫びは体を震わせ、皮膚に悲鳴を上げさせた。
痛くてつらくて、目を開けていられない。閉じると自然、涙がこぼれた。
やがてそれが静まり、キャシーはそっと目を開ける。
どうにか結界はもったようだが──
そう思って、そっと祖母の様子をうかがうと、
「!!」
今度は目をやられたかと思うほどの白い閃光が走った。
波動はどうにか結界を出ずに済んだが、光はアデューイもシンディも見えた。
そしてその光の元は──シンディの祖母。
発光したシンディの祖母は、その光の中に自分が溶け込むほど強力な光を放ち始めた。
もう輪郭も見えない。
「おばあちゃん──!!」
「危ない!!」
アデューイがシンディを制した。
「離してアデューイ!」
「駄目だ、君が近付いたら、何があるかどうなるか分からない!!」
強力な光はどんどん巨大化し、ついにキャシーを飲み込んだ。
どこに2人がいるか、どうなっているのか、全く見えない。
それを見つめていたシンディもアデューイも、パメラもユーロパも、あまりの眩しさに目を開けることがつらくなるほどだった。
「おばあちゃん…!!」
やがて、発光体は、キャシーが作り上げた結界いっぱいに広がった。
ただ、その結界から出ることはなく、結界の形状に白い塊となって輝いた。
でも。今は。ただ、今は。
「キャシーを信じるしかないんだ…!」
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