「あ」
キャシーは研究所の出入口で、そこから出てきた人にそう言われた。
気配はあるのに全く人の息吹を感じない不思議で不気味な建物が、この中央研究所だ。
そう思っていたが、こうして出入口で人と会うと、あぁやはり人間が出入りする場所なのだと今更ながら思った。
キャシーは1日ぶりに再び研究所に赴いていた。
アデューイが言った通り、長に文句を言うためだ。
今からでも遅くない、呼び戻してもらってせめて解放した"レベル"の力で変化の魔法をオーサーにかけてあげたい、そう思って。
中央研究所から出てきて「あ」と言った男はまだ若い男だった。
そして彼は確実にキャシーが誰だかを知った上で「あ」と言っていた。かたやキャシーには見覚えがない。
勿論"レベル"のキャシーにはそんな経験はしょっちゅうだ。
「あの…キャシーさん…でいらっしゃいますよね?」
キャシーはその気持ちの悪い敬語にぞわっとした。違和感がありすぎる、13歳の小娘に、20代後半くらいの男がきく口としては。
「あ、すいません急に…僕はルーニーといいます」
男はキャシーの目線に気付いて慌てて名乗った。だがその名前を聞いてもピンともこない。
しかしルーニーはそんなことは全く気にせず、そのままこう続けた。
「おかげで――負の魔法使いからの催眠がとけました」
そこで今度はキャシーが「あ」と言った。
リーダーことレドの仲間だ!
「まあまだこうして検査に通う日々ですが」
ハハ、と頭をかきながら笑った。
表面上の催眠がとれても、まだほかにも隠された催眠誘発語があるかもしれないため、検査に通っているというわけだ。負の魔法使いたちならそんなことぐらい簡単にやる可能性が高い。
「…催眠にかかるのは、しょうがないことよ」
ルーニーの水晶はPをさしている。
催眠魔法をかけたのがどのレベルの魔法使いかは分からないが、あの強力な力は、レベルがかなり高い上に催眠魔法をかけなれている魔法使いのものだろう。レベルPで敵う相手とは思えなかった。
「催眠から抜け出せたのは、あなたたちがリーダーを思う思いのおかげだし、学者たちが頑張ったからで、私は何もしてない」
「リーダー…?あ、レドさんのことですね」
そこで思い出したようにふふっと笑った。
…何がおかしいのか、とちょっとむっとする。
「あぁその…まさしくレドさんの言った通りだなと。僕はあなたに会えたらお礼を言いたいとずっと言っていたんですが、それを聞いたレドさんが、あなたなら『自分は何もしていない』と言うだろう、と」
キャシーはむっとした。
「レドさんは今、あの時同じくいいように使われた男性と、負の魔法使いを捜しに出ました。休みもろくにとらずにね。一緒に行けず、役にも立たずで恥ずかしい限りです」
後ろから突然殴られたために犯人の全く顔も見れないまま、催眠の海に入っていった。何やら臭いをかがされてわけがわからなくなったのは覚えているらしいが。
もうひとりは知らないうちに食事に魔薬を混ぜられていて、同じようにわけがわからないまま催眠の深みに入っていってしまったらしい。
恥ずかしがることはないんだってば、とキャシーは息をついた。
『いいように使われた男性』とは、オーサーのことだろう。
2人は共に行動しているのか…
オーサーとリーダーの因果な関係に想いを馳せかけた時。
「あの時あなたの他にもいた子供たちが、今もまた討伐隊として出ているようですね。そうでもしないといけないぐらい、戦況は厳しいんですね」
しみじみと言ったルーニーに対し、キャシーは愕然とした。
「え…?」
私の他にいた、子供たち?
シンディ、ユーロパ…?
ロージ、ビトレイ、…アデューイ。
「え…ご存じなかったんですか?」
顔色が変わったキャシーを見て、ルーニーも顔色が変わった。
「何の討伐!?」
ごまかしも嘘も許さない気迫にルーニーは答えるしかない。
「何でも"レベル"を名乗る人間が現れたとかで…」
"レベル"を名乗る人間?
キャシーはふっと息を吐いて目をつむる。
長のどこかおかしな様子も、
そうだ、その前の突然来たアデューイもシンディも。
そういうこと。
長に文句を言いに戻ろうかと思ったが、言ったところで何も変わらない。
絶対にだめだと言われるだけだ。どうせ危険だからとか、そんな理由に決まってる。
それならこちらから行くしかない。
手がかりを得るためには――学院に行くか。学長ならどこに行ったか問いつめれば。いや、職員室に行けばどこにいったか普通に口を割る教職員や事務員がいるはずだ。
キャシーはルーニーに軽く会釈をして、一気に飛び立った。
「すごい人ねえ」
とカラハがのんびりと言い、
「いるだけで人疲れする…」
とビトレイが嫌そうに言い、
「テンション上がる!」
とシンディが楽しそうに言った。
ビトレイとシンディの感想は相対している気もするが、とりあえず3人は噂のショッピングモールにやって来て、それを見た第一声がこれだった。
「目的違えないようにね」
カラハはシンディにそう言った。
ついつい目に入る見たこともないかわいい服。キョロキョロしてしまうと冷ややかな顔の2人と目が合い、慌てて笑ってごまかす…というのをシンディは繰り返していた。
そうはいっても実はなんだかんだカラハも見ているのだが、ビトレイはそんなカラハを微笑ましく見ているので。
3人はゆっくりと見て回り、時間としてはモールを2周するほどに経った。
勿論服や雑貨やおいしそうな食べ物にもひかれたが、勿論ちゃんと何かあった時のための経路を確認したりもしていた。
とはいえやはり疲れた。
一昨日見た、と昨日聞いた。
昨日聞いたばかりで今日でさっそくは現れないだろうか、でもむしろ今日見られなければどこか別の街に行ってしまったのかもしれない。
だがキャシーを呼び寄せる罠なら、そう簡単に移動しないような気もする、けど。
3人はそれぞれがそんなことを考えながら、でも口にはせず、なんとなくウィンドウショッピングをしている風で歩き続けるのも疲れた頃。
「ん?あれは…」
3F付近を歩いていたとき、ビトレイがふきぬけを覗きこんだ。
背が高いせいか、「あれ」に気付いたのだ。
「なーに?」
「おっ…と、想像通りね」
スーツのおっさん軍団と、その中には異質な、プラチナブロンドの女の子。
そのなんだか不思議なグループが1Fをぞろぞろと歩いているのが見えた。
「…キャシー?」
まさかそんなことがあるはずが。
「違うわ。あの子はあんな歩き方をしない。でも…」
「本当に、遠目で立ってるのを見るだけならそっくりね」
上から見る限り、スーツ軍団の黒に映えるキレイな髪は2つ分け。カールもしているような気がする。
細身の体つきもよく似ている。
スーツのおっさんに囲まれているため身長はよく分からないが、多分背は高くないだろう。
向かおうとしたビトレイをカラハは止めた。
「もうしばらく、遠くから様子を見ましょう」
「でも…ここからじゃよく…」
「相手の力が分からないのよ。私たちのことに気付くかもしれないでしょう」
"レベル"ではないにしてもそれに近い力を持っている可能性は否定できない。『エルシュ』とかいう男の話を思い出す。
エルシュが非常に高いレベルを持っていそうなこと、そして『魔法使いに気付ける能力』のこと。
あのキャシーモドキがその能力を持っていないとは限らない。
カラハもその話は聞いていて、戒めていたのだ。
「賛成、人も多いしね。少しずつ距離を狭めて反応見ましょ」
シンディも頷いた。
「キャシー?!」
まっすぐに職員室に突入したキャシーに声をかけたのは、何故かアデューイだった。
何でココに、とアデューイの表情を見た瞬間、すべてが見えた。
「あんたは行かなかったのね」
その言葉にアデューイの顔が凍り付いた。
そしてそれがすべてだった。それで感覚での確信の裏付けとなった。
「何なのあんたたち。気を使ったわけ、私を護りたいとか言う長にでも洗脳されたわけ?」
吐き捨てるような言い回し。
心底キャシーが怒っている証拠であった。
「洗脳でも感化でもなくて、自分たちで思ったからそう動いただけだよ」
アデューイはキャシーをまっすぐ見つめ返す。
そしてそれはアデューイの本心の現れでもあった。
キャシーはそれが分かって、唇をかむ。
「…いいわよ」
な、なにが
そうアデューイが言葉にする前に
キャシーはきびすを返し、
「私も行くわ、シンディたちのところ」
と言い放った。
「ちょ、だめっ…」
「あぁそう、やっぱりシンディ行ってるんだ」
アデューイ絶句。
「どこへ行ったの」
「キャシー!」
「別に言わなくてもいいわよ。捜すから」
本気だ。
そして本当に捜すことが可能というキャシーの力。
「ちょっと、本当に待って、なんのために黙って行ったか、考えてよキャシー」
「考えたくもないのよ、私を守るためとか言いだす気だったら本気で怒るわよ」
「キャシー!」
キャシーは166Fの教員室を出て、飛び出した。
アデューイもあわてて追いかけた。
分かっていて怒っているのだろう、黙って行った訳を。
だったらなおさら、お願いだから。
こんなにも皆が、君を心配しているのに。
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