全員が咄嗟に、カラハを守る詞を唱えた。 カラハは雷による柱の粉砕を、アデューイはカラハのまわりに水の壁を、キャシーはその両方を兼ねる風の魔法を。 そうして粉々になった柱はキャシーの風で飛んでいった。 「な…何?」 カラハは呆然と自らをかばっていた腕をゆっくりおろす。 キャシーはカラハを黙って見つめた。 「柱の根元…融けてる」 アデューイは倒れてきた柱──柱自身はもうひとかけらも残っていないが──その根元を見下ろす。 「…根元だけじゃなく、天井とついた部分もね」 キャシーは見上げる。 天井と床、立派なコリント式の柱がつながっていたそこは、明らかに不自然な跡となっていた。 粘性の高い液体の中に入っている何かを取りだそうと引っ張れば、確実にできる跡。 お菓子を作る時の『ツノ』が、根元と天井に残っていた。 それは明らかに、その接合面が融けて尾を引いた跡。 「融けた…って」 「熱の魔法ね」 カラハの声にキャシーは応える。 「この奥で異空間を張ってそこに逃げ込んでる魔法使いが犯人」 そう言って回廊の奥を見る。 「何故こんな…」 「よっぽど来てほしくないのか…?」 カラハに対するアデューイの呟きに、キャシーは鼻で笑った。 「逆に来てほしくてたまらないって感じ」 え、とカラハはキャシーを見る。こんな子だったっけ。 「だってそうでしょう。ここに1歩でも入ったら熱の魔法の仕掛けが作動して、柱を倒すようにしてあるなんて、凝ったこと。それほどまでにどうしても来てほしくないなんて。逆に絶対聞かなければならないことを隠して逃げてるだけだわ」 聞かなければならないこと? 何かを知られたくなくて、逃げ込んだということか── カラハはキャシーを見る。 ――キャシーは…もう既にそれを知っているのでは? 「まぁ見たところ他の全ての柱も仕掛けられているようね。どうする?」 キャシーもカラハを見る。 カラハが何が言いたいのかを分かっているのかいないのか。 そして質問をする。それも、どう答えるか…勿論分かっていて。 「…行くわ」 カラハは頷いた。 キャシーも頷き、 「アデューイ」 そして振り返る。 「あなたは来ない方がいい。危ないわよ」 「キャシーは?」 「…は?」 「キャシーは行くの?」 アデューイの思わぬ質問に変な声を返してしまった。 「…カラハが、ビトレイの異空間に入れるなら行く必要はないけど」 キャシーのその言葉にカラハもアデューイもハッとする。 異空間は特殊な機構で、特殊な詞を組んでつくられる。 下位の異空間でも、作り出した魔法使いの許可なく入ることはほとんど不可能だ。 でもキャシーなら── "レベル"なら可能なのかもしれない。 そこでアデューイは、探索術を使うためとはいえ、意固地に出力制限アクセサリー(イラセスカ)をつけているわりに思ったより簡単に"レベル"になったキャシーを見た。 これを見越して、""になったのでは──? 「だったら…僕もいく」 キャシーは冷ややかにアデューイを見る。 「やけになったレベルUの魔法使いの魔法を避けられるなら。さすがに何人も助けられないわよ」 上位の魔法、そこから身を守るのは自分自身だと言われても。 「分かってる。キャシーに迷惑はかけない」 アデューイは曲げなかった。 カラハはそんなアデューイを見て──ふっと微笑んだ。 「断固キャシーを守る──というわけね」 そのどこか翳りのある笑顔と静かな声に、キャシーもアデューイも黙ってカラハを見つめた。 「ビトレイがそう言ってくれていた頃があった…」 「色々考えたけど」 キャシーは言った。 「二択」 カラハはその言葉に笑う。 「キャシー、私はこう見えてすごくせっかちなの」 まぁ罠だらけの回廊につっこんでるのだから、大体察した。 「突破を選ぶわ」 何と何の二択とも、そもそも何についての二択かも言っていないのに、何それ。 でも合っている。 どうやって奥に行くかの二者択一だったから。 「危ないわよ」 「あら。テーブルクロスも上手に引っ張れば、テーブル上の物を落とさず倒さないわ」 カラハは笑って、そして急に真剣な目を回廊の奥に向ける。 「早く異次元からひっぱりださないと、ビトレイの魔力が果てる」 異次元の中でそんなことになったら── 「いくわよっ!」 床が融けだすと恐ろしいので、3人は飛んだ。 キャシーは2人の後から飛ぶことにした。 どう考えても、一番後ろが一番危ない。 予想通り、先頭のカラハの頭が柱にかかろうというとき、嫌な音と共に柱が倒れてきた。 倒れてくる柱を最後にかわしたキャシーはギリギリだった。 「もっと皆くっつかないと危ないわ!」 カラハが振り返って叫ぶ。 アデューイが慌てて速度を上げた。 残念なことに、アデューイと2人の間には大きなレベル差があった。カラハが本気を出して飛ぼうとしているのでアデューイは遅れていく。 キャシーはアデューイに合わせて彼の後ろになるよう飛んでいたが、あまりに間をあけると柱にやられるので、アデューイの体半分後ろをぴったりとつけていた。それでなんとかギリギリだ。 突き進むに従って倒れる柱。 全ての柱に熱の時限装置をつけたらしい。ご苦労なことだ。 しかしアデューイは、ハッと気付いてしまった。 「ちょっ…何よ?急に止まったら危ないでしょ?!」 急にアデューイが止まった。 空中に止まるアデューイを勢いで抜き去って、キャシーは慌てて止まって振り向いた。 カラハは気付かず猛スピードで飛んでいく。 「…入り口から入ってきて、そこから柱全部壊してきたよね」 壊したのはカラハだけど、それ以前にビトレイが変な魔法かけたせいだけど、と一応思ってから。 「それが?」 アデューイは微妙な顔をしてキャシーを見た。 「…」 キャシーもそれが聞こえた。 建物の片側の柱が壊れてなくなったら、倒壊するに決まってるじゃない! 瞬間、すごい音がして屋根が入り口から一気に落ちてきて、まるでドミノ倒しのようにキャシーたちのいる地点まで一気にむかってきた。 さらに崩れた屋根だったものは地面に落ち、倒れた柱とともにドロドロに融けた。 石や金属が融けたマグマのようなものが、波打ってキャシーたちに襲いかかろうとする。 アデューイとキャシーは息をのみ、慌てて飛んだ。 たが。 キャシーは多分逃げ切れるが、アデューイの速さでは── 「いいから行って!」 「ばかっ融けるわよ!」 倒壊に追い付かれる―― 「"πλεασε ηελπ νοτ το μελτ υσ, τηε ποολ οø ηεατ!"」 アデューイはキャシーの叫ぶ声を遠くに聞きながら、ドロドロに融けた回廊だったものに飲み込まれた。 でも。 「あれ…?」 自らもマグマの一部になるかと思ったアデューイは、「自分」があることに驚いて目を開けた。 「…迷惑かけないって言ったよね」 キャシーの声も聞こえた。 その声に振り向けばキャシーが横で冷たくアデューイを睨んでいる。 体育座りを崩した行儀のよいとはいえない体勢のキャシーは深く息を吐く。 「ここは…」 「ドロドロの中。あんたのまわりにとりあえず熱の結界張った」 最初からその方が早かったかも、とまた息をつく。 熱には熱を。 アデューイがいたのは球型結界の中心。 別の力で結界を張るのではなく、同じ温度や状態の膜を作り、その中は通常とかわらない空気のある、適温の空間を保っている。 客観的にみればマグマの中の大きな気泡に2人がいるような感じだろう。 それがどういう魔法なのか、どの程度の難しいものなのか、アデューイには想像もつかなかった。 ただ、こんなすごい魔法なのにキャシーは長い詞を唱えなかったことだけは分かる。 そして反射的に、あまりに対処の魔法がすんなり出てきたことも―― 「…こうなるって分かっていたでしょ?何で来たの」 「…」 アデューイは少し気まずそうに俯く。だが、 「危ないからついてこないでって言ったのに!」 この言葉にガバっと顔を上げる。 「そうはいかないよ!」 「何を考えてるの!?」 まさしく、ドロドロの一員になれるところだった。 もっともその時には一員などと言っていられないほど一緒になれそうだが。 誰がどう考えても一歩間違えれば命が危険にさらされることは予想できたのに。 「考えていることは1つだよ」 アデューイは静かに言った。 思いがけず落ち着いた真剣な声に言葉をなくせば、これ以上ないほど真面目な顔をしていた。 え、と思った瞬間、アデューイはふっと顔の緊張をとって、困ったように笑った。 「僕の祖父はね、学者なんだよ」 それも元老院の――、と付け加えたアデューイを、ただ目を丸くして見つめた。 「祖父は小さい頃から僕によく言ってたんだ。"レベル"が現れたら、必ず守ってあげるんだよって」 アデューイが語りだした思いがけない告白に、キャシーはただ黙って、熱の球型結界内でアデューイからできる限り離れて立っていた。 「『"レベル"などという強大な力、誰にどんな風に狙われるかわからない。護るために我々はいるが、魔力や知識では負けなくとも体力では敵わない時もあるかもしれない。だから守ってやれ』って」 「それであんた…度あるごとに私を守るとか言ってたわけ?」 全ての魔法使いを護ることが"レベル"の使命で義務の私に、それを守ると言い続けたアデューイの背景には、こんなことがあるのか―― 「まぁ、でもさ。小さい頃からずっと言われてて、なんとなく頭にはあったけど""が現れるか分からなかったし。現れてもどんな人なのか、お近づきになれるのか…とか色々あるから祖父の言うことも結構無理あったんだけど…」 あはは、と笑ってキャシーを見る。 キャシーの表情は相変わらず凍りついたままだ。 「そしたらある日…まだ僕が上級学校に行っている頃、"レベル"が現れたと聞いた。しかも女の子で年下だって分かって。祖父の声が強く響いた」 そして実際会えた時、キャシーの目を見てしまったから、とアデューイは続けた。 「君の…寂しそうな目を見てしまったから。…前も言ったけど、僕だってレベルが高いせいで色々あってつらい時期あったけど、キャシーはそれとは比べ物にならない思いをしてきたんだろうなって思った。――だから」 キャシーはぎゅっと目を瞑る。 こんな話はもうまっぴら。 そんな同情もいらない。 分かったフリなんかいらない―― 「──誰」 返ってきた冷たい声に、アデューイは驚いた。 「え?」 「おじいさん、なんて名前」 「あぁ…」 自分の知っている人かどうかを知りたくて聞いてきたのだと分かったが、何故凍るような声で聞いたのかは思い当たらなかった。 「ロッカフ・テオリカスイ。父方の祖父だから名字は同じ」 「…記憶にない」 キャシーは息と共にそう言った。 それは明らかに安堵の息。 「それはそうだと思うよ。"レベル"に会いたいって言ってたけど、病気で…」 「…そう」 会うことなく亡くなったという呟きに、悪いことを聞いた、とキャシーは俯く。 「…どうかしたの?」 さすがに聞きたくなる。 「どうかって?」 そしてやっぱりはぐらかされる。 名前を聞いた後の安堵感は一体なんだったのだろう。 「何でもいいけどさっさと出るわよ、カラハが焦ってる」 「分かるの!?」 まさか分身の魔法とかを使って、外にもキャシーがいる!? 「想像すれば分かるでしょ」 キャシーはアデューイの想像が分かって、あきれたような顔をして言い、結界ごと一気に上昇した。 ドロドロから飛び出した2人は、崩れていない部分に呆然としているカラハに上空から気付いた。 「カラハ──!」 アデューイが笑顔で手を振る。 声に見上げたカラハは、泣き笑いの顔をした。 本当に心配し、2人を連れてきてしまった自分を呪っていたのだろう。 ふわりと地面についた結界は、ぽん、と消えた。 瞬間、アデューイがよろめく。 よく考えてたら、結界ごと自分を浮かせていたのだと思い当たる。 その辺のものを浮かせるのも、人間ひとりを浮かせるのも、もう""までくれば関係ないのだろうか。 「…あのさ」 キャシーが言う。 「今上から見て思ったんだけど。…正攻法で行き過ぎじゃない?」 え? 「わざわざ回廊通らなくても、普通に裏から行けばよかったような」 ステンドグラス割って窓から入れば…空に罠がかけてあるような感じはなかったから… と非常に言いにくそうにモゴモゴ続けた。 「…」 「…」 アデューイもカラハも、何も言わなかった。 何も言わずに、3人は黙ってあと柱2本のみの回廊の先へ向かったのだった。
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