Magic44. 累卵之危     
 
 




「じゃあ次ー、ビトレイ対ラプエ」


ビトレイの試合だった。
カラハといるときは、割りとおどおどおとなしいように見えたのに、こうして競技場にいるビトレイは、堂々として、立派な戦いだった。
熱が得意らしいビトレイは、相手の攻撃を適度に溶かしたり、完全に溶かしてドロドロにしたりして、しのぐだけでなく、それらを相手に向かわせて攻撃にしている。
相手は少し戦いにくそうだ。

"σπαττερ, øλοω. βονβαρδ τοωαρδ ωατερ, ηεατ!"
ビトレイはふと、前に思いついてやってみたかった魔法を使ってみようと思った。
そして水の魔法を唱え、熱の魔法を追って放ち、そこにぶつけた。
思った以上に水が飛び散り、熱湯と化したしぶきが当たり、対戦相手は叫んだ。
さすがにビトレイもやりすぎたと思ったのか、慌てて消そうとする、と───

熱にくるまれた水が、飛び散り出したのだ…!

非常に高温の鉄板に水をのせると、水蒸気の膜が水のまわりにできてすぐには蒸発しないという現象が起こる。
今起こっているのもこれと同じ。
ビトレイが水に与えた熱は、水を蒸気にかえて相手への目くらましとするにはあまりに温度が高かった。

本来なら熱を消したり温度を下げれば良かったのだが──それがどんどん分裂して勝手に起こり出した──つまり暴走をはじめたのである。


「危ない!!」

誰ともなく叫ぶ。
教師も生徒も慌てて競技台の方に駆け寄る。

「ふたりとも出なさい!」
教師は叫ぶが、結界の中は蒸気で真っ白だ。
熱も水も、パニックを起こしている中の2人でより事態を悪くしている。多分この蒸気は、対戦相手の方が、熱さから逃げようと大量の水を出したりしているからだろう。

「先生早く!」
悲鳴のような声。
結界の中は教師にしか手が出せない。

生徒の声に頷いた教師が唱えた魔法は、そのまま結界内に突入し、2人に見えない大きな手となって当たり、結界から押し出された。
すぐさま生徒の皆が色んな魔法を唱えて2人を包む。

結界内はビトレイの暴走させた魔法が渦を巻いている。
「あ…わ…私…」
ビトレイはカラハや他の子たちに囲まれた中で震えていた。
顔を手で覆っている。

「大丈夫よ、ビトレイ、結界内だから…」
カラハがビトレイの肩を抱いた。
確かに身の安全は保障されたが、競技台に張られた結界は跳ね返すタイプのため、ビトレイの暴走した魔法は結界内を回り続けてしまう。

"ι αμ α τεαχηερ. τηε τεαχηερ ωιση χηανγε ιν σθυαρε. αβσορβ ποωερ!"
教師が叫ぶ。
それは、変換の魔法。
跳ね返しタイプの結界を、吸収タイプに一時変換。
結界内は一気に晴れた。

「ほら、おさまったわ。大丈夫よ」
カラハはビトレイの肩をつかみ、ビトレイを抱きしめていた自分の身を起こして向き直らせる。
「顔を上げて?ちゃんと謝りなさい」
その声に、ビトレイはびくっとしてそっと手のひらから顔を上げた。
対戦相手、ラプエに謝らなくては。
ラプエはラプエで今、友人や教師に火傷の心配をされて囲まれている。

「あ…ラプエ、本当にごめ…」
ビトレイは青ざめた顔で言うと、
「しょうがないよ…あれ?」
ラプエは、自分は軽症だし、ビトレイも好きで魔法を暴走させた訳じゃないから、と思っていたが…
「え?」
「ビトレイこそケガでもしたの?頬…ススみたいなのついてるよ」

顔の産毛が焦げたのか、左頬や顎の一部に黒いものが見えた──

「!!」
ビトレイは瞬時にラプエの視線の先にある左頬を手で押さえた。
その顔は真っ青だった。

「ビトレイ?」
カラハが背の高いビトレイを見上げる。彼女はビトレイの右側にいたので見えなかったのだろう。

「どうした?見せてみろ、軽ければ治せるかもしれない」
教師もビトレイの様子を心配して近付こうとした。

「いいっ…!」
ビトレイは大声で叫び、教師から、カラハたちから一気に離れた。
周りはまたびっくりして、目を丸くして固まった。

「自分でやるっ…!」
そう言うと、誰もがぽかんとしているうちにビトレイはすごい勢いで走り去っていった。



その一部始終を、キャシーは席から立ち上がったままで、見つめていた。

ビトレイが走り去った後、風に乗って光の粉が舞い散ったのを見たのは、キャシーだけだった。

     


放課後、図書館。
いつものように勉強していた。
今日もアデューイ先生の気は漫ろ。
魔法の暴走は、高いレベルの魔法使いにとって恐怖の対象そのものである。
皆、多少の違いはあれども、暴走させた経験はある。
当然アデューイにもある。
その時の思い出が甦るのだろう──

「…ビトレイはどうなるの」
キャシーはノートから顔を上げることなく尋ねた。
アデューイはそんなキャシーの物の聞き方については普段は何とも思っていないが、今日はさすがにちょっと冷たいじゃないか、と思った。
聞き方としては、数学の問題を質問してきた時の方が真剣に見える。

「…再試だよ。相手も同じ」
アデューイはため息混じりに答えを返す。
「そう」
キャシーはそう短く返すと、アデューイにプリントを突き出した。
「できた」
「――それだけっ!?」
いきなりアデューイは言った。

「あれを見て何とも思わなかったの、あんな暴走――怖いと思わなかったの」
下手をしたらラプエは…いや、ビトレイ自身も命の危険にさらされていただろう。
「大小はともかく、暴走を経験したことない魔法使いなんていないはず、キャシーにも経験あるでしょう!?」
それを言われた瞬間、キャシーはぎゅっと手を握りしめた。


「何が言いたいのよ」


そして出た声は、今までアデューイが聞いた中で最も低く、冷たい声だった。
どこまでつついたら怒るかな、と試し試しで、リミットをちょいっと越えて怒られた時とは比較にならない。
背筋が凍り、血の気が引くほど、恐ろしかった。

それほどまでに、キャシーは怒っていた。

「私の暴走経験なんか聞いて楽しい?」
そして今までと違うのは視線。
アデューイの目を真っ直ぐ睨みつけながら一文字一文字はっきりと言う。
その目をそらしたいのに、あまりのことにできない、どうしていいかわからない状況にアデューイはとにかく謝ることしかできなかった。


「止められる暴走に言うことはない」


キャシーは最後にそう言うと、ようやくアデューイから目をそらした。
アデューイは、ほ〜っと息を吐いて、自分の首もようやくギギギとぎこちなく戻すことができた。

逆切れ?――いや、そんな単純なものじゃない。
何か…キャシーはメッセージを発したんじゃないか?

アデューイはただそれだけ分かった。
分かったけれど――この状況で何を聞けるというのか。
キャシーは既に無表情で参考書に目線を落としている。

アデューイは必死で話しかけることのできる状況を考え、そして、渡されたプリントの採点をした後しかない、そう思った。

「あの…」
そしてどうにか集中をかき集めて、なんとかプリントを見終えると、間違えたところを指さしながら、キャシーにそっと話しかけようと…


「キャシー!!!」


しかしアデューイの声をさえぎる声。

「カラハ」

図書棚に囲まれたスペースにある机で座っていたキャシーとアデューイ。
その大声に驚き顔を上げると、棚の間から息を切らせて走ってきたカラハがいた。
「一体…」
アデューイは図書館であげるべきでない大声と、様子のおかしさに、異常さを感じ取った。

「お願い――キャシー、助けてほしいの」

いつもの妙な余裕たっぷりマイペース感が全くなくなっており、青い顔をして、余裕など微塵も感じさせない。
キャシーは黙ってカラハの様子を見て、青い顔と比例する全身を覆う不安なオーラをしっかり捉えた。

「…どういう内容の『助け』」
そう言ってカラハの反応を待った。
内容次第では考えてもいい、というのを示したまで。いつものカラハならそれぐらい分かるはずである。
「そ…、そうよね、助けられない内容あるものね、…あの、人探しなの」
「人?」
「そう――ビトレイを探してほしいの」

あぁ――…。
キャシーは思った。
あの魔法を暴走させてしまった実技の試験、やはり引き金になったか。

「どういうこと?」
アデューイは話が読めず、カラハに聞く。
「それが…あの試験の後、他の授業にも出ずにずっと保健室で休んでいたから心配になって…放課後になっても鞄残ってるし…さっき行ってみたの」

すると、カラハが来たのを見とめた瞬間、

 


「キャシーに何を聞いた!?」
「何って…何のこと?」
「とぼけないでっ…」
「前にお昼、キャシーを訪ねたことなら、私が聞いたのはシンディについて、よ?それにキャシーは答えてはくれなかったわ」
まあ確信したけどね、と笑って続けると。
「嘘」
「う…嘘って、なぁに、本当よ。…一体どうしちゃったの?」
「キャシーには見えたんだ。"レベルZ"だもん――…そしてそれを聞いたんだね」
「ちょっと待って、ビトレイ。本当に、何のこと?」
「カラハはあれ以来…私を、避けてる」
「え?」
「――さようなら!!」
「ちょっ…――えっ?」


跳ね飛ばす勢いで保健室を出て行ったという。

「…それで、どこを探してもいないの」

急な展開に何もついていけていないカラハには悪いが、それを聞いたキャシーは、完全にあきれていた。
自分からばらしてどうするのよ…。

「最近のビトレイ…何か変で。ずっといらついているっていうか…焦燥感に満ちていて」

また焦り、か。
この学校の生徒は何でそう色々抱えて生きてるんだ?

「…それ、私が来てから、じゃない?」
「え?……そう…いえば…そうかも」
キャシーの思いがけない質問に、カラハは思い出しながら頷いた。
「キャシーには見えた…とか言っていたし、あなた、何か関係あるの?」
「…ないわ。私にはない。あの子が勝手に勘違いしているだけなのよ」
ハァー、と深いため息をついて、キャシーは立ち上がった。

「仕い魔放ったりとか、探索魔法放つとか、したの?」
「…私はほとんど式魔魔法は使えないわ。どうも得意じゃないの…探索魔法も、ここで使えるものじゃ私は熱に関するものしか知らない。人の体温あたりに反応する熱の探索魔法を使って…今ここに来れたのも、誰かいるって分かったから」
「…」
これはひどい。
レベルVとは思えない荒っぽさだ。
「ビトレイは熱が最も得意な魔法使いだよ。そのぐらい想像ついてると思う。多分もっと高い温度…熱に包まれてそのぐらい簡単にかわせるよ」
アデューイは言う。
キャシーはアデューイを見る。まだ彼の方が探索魔法は得意そうだけど…
「僕の水脈を伝うのでは――校舎内にいるとなると、厳しいし。火や風の探索魔法は校舎内は禁じられているから駄目だし…」
重要書類とかが風で飛ぶのを防止するためだったり、校舎を燃やさないようにするためらしい。

「…教えるから、聞いて」

深いため息の後、キャシーは少し広い空間に数歩移動した。
アデューイもカラハも、え、とキャシーを見つめた。
ゆっくり目を閉じたキャシーは、云う…

"ωηερε τηερε ισ α αιρ, τηερε ισ α λιøε. σο, ατμοσρηερε, χαν ψου ηελπ με λοοκ øορ τηε περσον ωηομ ι τηινκ"

その瞬間、暖かく優しい風が、ふわり…と体を軽くなでて行ったような、大気の動きを感じた。
キャシーが魔法の詞(ムレット)を唱えた時、光のようなものが彼女の体から出たような気もするが、眩しすぎることもなく、ほのかにほわっと光ったぐらい。
一体何の魔法なのか、とアデューイもカラハも、キャシーの唱えた詞から読み解こうとしたが、とても無理だった。
するとキャシーは目を開き、いきなり言った。
「…厄介」
え?とキャシーを見ると、
「この状態じゃ見えないところか…多分異空間ね」
「えええ!?」
アデューイが叫んだ。
「何で異空間なんかにいるんだよ…」
「どうあっても見つけてほしくないからでしょ」
キャシーはそう言って、カラハを見る。
「今の詞覚えた?やってみて」
「え…」
カラハはちょっと困ったような顔をする。

「…もう一度言うから覚えて。大気の魔法よ。空気あるところ探せる魔法。レベルが高い者が唱えれば唱えるほど、限定して場所を特定できる」

キャシーはもう一度、カラハとアデューイに、ゆっくり詞を教える。
やはりさすが"レベルZ"だ、とアデューイは思った。
水の魔法を教えてと言ってきたキャシーは一体何だったのだろう。

大気の魔法も、あまり知られていない魔法なのである。何しろ扱いが難しく、あまり大気系を得意とする魔法使いがいないからだ。
かなりの集中力を必要とし、アデューイもカラハも何度も深呼吸してから挑戦した。

「あ…」
カラハとアデューイが魔法に反応した。
「そんなに遠くない…この近く」
アデューイは言う。キャシーにも何となく感じ取れたくらいの感覚である。
一方のカラハは。
「閉ざされた空間…ちょっと湿っぽい空気のあるところに、異空間の存在を感じる。…そこにいるの…?」
さすがレベルVだとキャシーは思った。
だいぶ特定されてきている。

「この近くの湿っぽい空気のあるところ――多分人の出入りがなくて、古い建物とか部屋は?」
キャシーは2人を見る。
「え…」
カラハもアデューイも首を振る。
「あなたたちに縁があるとか、思い出の場所とかは浮かばないの?」
キャシーのその声にも、カラハは眉間にしわを寄せ、首を振る。

「そう――カラハとビトレイに関係する場所かと思ったけれど…思い当たらないなら…」
キャシーはちょっと悩んだ。
特に大したことはない、明日になれば忘れるようなことか?――いや絶対にそんなことはない。
ビトレイを早く見つけなければ…多分ヤケになっているだろう。
大体異空間にいるというあたり、もう無茶苦茶だ。
レベルUの魔法使いが、おそらく自分で作った異空間に居るということ。
――いつまでもつか分からない。



「本気で探すわ」



キャシーはそう言って深く息を吐いた。
…ため息にも見えた。

"ρεμοŵε, φεωελρψ"

アデューイはハッとしてキャシーを見た。
この詞には聞き覚えがある。…まさか。

キャシーが唱えた詞に反応して、何かが外れる音がした。
手首に巻かれていた硬いリストバンド、耳の大きなイヤリングが落下した。
出力制限アクセサリー(イラセスカ)を外している。やはり!

アデューイはそっと離れて、椅子をつかみ、壁際ぎりぎりに寄せてそこに座った。
カラハはアデューイの不自然な行動を怪訝そうに見る。
キャシーがイラセスカを外そうとしているのは分かった。彼女もイラセスカをしているから。――でも。

"ι ωιλλ ωιση. ρεμοŵε με øρομ τηε χονøινεμεντ, νοω ισ τηε τιμε σηοω μψ τρυε αππεαρανχε, ανδ σηοω μψ ποωερ ιν εŵερψτηινγ"
最後の解除魔法を唱えるキャシー。

…でも、カラハはこの後自分がどうなるか、まだ知らなかった。


「!?」
全てのイラセスカをキャシーが取り払った瞬間、いや、その間あたりからおかしいとは思っていたが――
見事にカラハは崩れ落ちた。

手の甲に浮かぶ"Z"の紋様。
サラサラストレートのキャシーは、その手で髪の毛をかきあげ、カラハを見下ろしてにっこり笑う。
「急激にイラセスカを取ったことで、私の魔力があまりに急変するから感覚が狂うらしいの。もう少ししたら立ち上がれるわ。一時的なものだから」
そしてアデューイはもう知ってるから対処したってわけか…と呟きながらアデューイを見やる。

しかし、カラハは。
「ご、ごめん…もっとかかるかも」
そう言った。
「どうしたのよ?」
キャシーは何事かと思って驚いてカラハの方を振り向くと。

「…こ、腰が抜けた」









 

あとがき
 
 
 


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