Magic28. 隠された魔法     
 
 




「自習室の掃除?」

まさに帰ろうとしていたキャシーは、驚いて立ち止まった。

「そう、今日はキャシーの当番よ」

そう教えてくれたのは、シンディだった。

彼女いわく、この学院には週替わりや日替わりで色々な当番があって、それぞれ生徒に担当の係が割り振られる。
破ると当然罰があるので、シンディはいつも確認して帰るのだという。
ふと見ると、自習室の掃除当番にキャシーの名前があった。
これは日替わり当番だから回ってくるのが早い。
入学して1ケ月経ったとはいえ、最初に回ってきた当番だから、もしかしたら知らないかもしれないと思ってきてみたら、案の定、掃除終了札が出ないまま、キャシーが帰ろうとしていたというわけだ。

「ありがとう、教えてくれて」
「どういたしまして」
「──あの、その掃除ってすごく大変?」
「いいえ?部屋はちょっと広いけど、魔法使ってもいいからすぐよ。…自分の手でやってもいいけど」
「…申し訳ないんだけど、やり方と場所が分からなくて。教えてもらえないかな」

キャシーのその言葉を待っていた。

「勿論よ。よろこんで」

シンディは優しい笑顔でにっこり頷いた。

     


「…自習室は、以上3エリア。勉強読書のこのエリアは、キャシーがやって。私は隣のトレーニングエリアをしてるから」
「あ…ありがとう」
案内して教えてくれただけでなく、手伝ってもくれるらしいシンディにお礼を言って、キャシーは部屋に向き直る。
『勉強・読書』用の部屋だと言われたこの部屋には、長机が10あり、1机に椅子が4脚ずつ。
壁ぎわには本棚がコの字にびたっと並んでいる。魔法書というよりは、一般教育的な本が多く見受けられる。
少し離れた場所には窓がついているが、開放するにはここは高いところにありすぎる。

さて、掃除魔法か。
机から拭いていこうかなと思って向き直ると。

「キャシー、最初に本棚からやって、そうでないと埃がすごいの。窓もあけてね」
シンディの声にとまって、キャシーは本棚に。
やはり窓を開けなくてはならないのかと近付くと、吹き込む風を低減する魔法に気付いた。

「あぁそこは魔法にもう一手間必要よ、こっちの魔法使って」
「掃除…したことないの?あるでしょ、こっちからにしないと。それ持ち上げて」
その後もちょこちょこ指示を与えられて、キャシーは頷いたり返事をしたりして掃除をしていく。
シンディは最初、キャシーがどんな魔法の詞(ムレット)を使って掃除をするのか興味をもっていたようだが、どの魔法書にも書いてあるような基本的な掃除魔法しか使わないのを見て興味を失ったようである。
キャシーはシンディのその様子に気付いていないように、気付いていないことを気付かれないように、黙って掃除を続けた。
──だって。


そして3つめの部屋に到着した。
ここは、魔法用の部屋。
「キャシーはロッカーをお願い。私は広場をやるわ」
シンディはそう言って真ん中に大きな魔法陣の書かれた方へ。
この部屋は、魔法書にあったりしたまだ試したことのない魔法を検討したり、新しい魔法をやってみようという場所。
真ん中の大きな魔法陣は、暴発したときのための、それを防ぐ結界だ。

「キャシー、掃除前に一通り中を確認してからやってね」
大体皆荷物は自分の横の「空間」にしまうが、人によってはどこにしまったか忘れそうだからとロッカーにいれることもある。何より、学院図書館の魔法書は持ち出し厳禁なので、空間収納することは禁じられているし、出来ないようになっている。何冊もの魔法書で見つけたいくつかの魔法の詞(ムレット)を試そうとするなら、ロッカーに魔法書を置く必要があるので、設置されているのである。

「あ」
置き忘れか、ロッカーの中にあった本。
キャシーの声に振り向いたシンディは、
「あーぁ、忘れてる。怒られるわね〜…それ何の本?」
と聞いた。
「『大気の魔法における一考察』」
「あぁその本か…あともう1つ知りたいことが載ってない感じなのよね。返しておくから貸して」
その声に、キャシーは本を差しだすと、ふわりと本が浮いた。シンディが魔法で持ち上げたのだろう。
「あとはもうないのよね?じゃあさっさとやっちゃって」
シンディは手をひらひら。
キャシーは黙ったまま頷いて、ロッカーを全部開くと、掃除魔法を唱えにかかった。


「キャシー、見て」

しばらく静かに掃除を続けていたが、シンディの声に振り向くと、その足元に水溜まりができていた。
「炎が得意だと思われているけれど、別に水だって使えるのよ」
そう言うシンディを、キャシーはボーっと見つめた。
「拭き掃除、あなたがやりなさいよ」
やってくれるのかと思ったが、確かに、本来キャシーの役割だ。
静かに雑巾を出現させて雑巾に拭くよう指示を出した。


「ねえ、何か魔法使ってみてよ。掃除魔法も、本当はもっとおもしろいのあるでしょ?普通の授業は違うクラスだからわからないし、実技授業は選ばれないし、ほとんど見たことないもの。属性魔法が見たいなー…あ、そうだ!炎やってよ」
シンディは楽しそうに言った。
思いつきとはいえ、キャシーがどんな炎を出すのか興味があったらしい。

キャシーはシンディの方をぼんやり見て、こくりと頷いて、左腕を曲げて、手のひらを上に向ける。
"øλαμ,βυρν"
ポッと音がして、手のひらの上に炎が出現する。
紅い炎。
「そんなの…魔法書の最初のページに書いてある、初心者が使う炎の魔法じゃないの」
シンディは呆れたように言って、
「そうじゃなくてー、もっとどかん!とするやつよ。大丈夫よ、私、炎は得意だし、暴発しないようにここには魔法陣があるんだし」
そう言って足元をとんとん、と靴で鳴らした。

"βυρν ανδ χαρρΨ ουτ χΨνδι…βυτ δο νοτ ηυρτ ηερ"
キャシーはぼーっと、言われるままに、少し強めの魔法を唱えた。
キャシーの足元で突然発生した炎は、まるで導火線に導かれるかのように一直線にシンディの元へ向かい、彼女の周りを包むように燃え上がった。

「…」
シンディは何も言わず、炎の中からキャシーを見た。
炎は決してシンディを傷つけようとはせずに、周りを包むように燃えている、ただそれだけである。
勿論キャシーがそう言ったからである、が。
(これ…私がビトレイに放った呪文のと同じじゃないの)

「…消して」
シンディがそう言うと、キャシーはすぐに消し、うつろな瞳でシンディを見つめた。
その目を、シンディは何も言わずに見つめた。




「キャシー、今すぐ降参をとなえて」



不思議で不気味な沈黙が落ちた。
あまりに急展開なシンディの言葉にも思えたが、シンディは真剣な顔でキャシーを見つめていたし、そんなシンディをキャシーもまっすぐに、静かに見つめていた。
キャシーの口が、息を吸って。
ゆっくり発声しようとするところを、シンディは息を殺して見つめていた。


「──降参」


そして紡ぎだされた言葉は、その4文字。

それはとても、ゆっくり言った。



息をつめて見つめていたシンディが、ほっと息を吐いた瞬間、



「…は、言えない、かな」



そう言って、キャシーは少し笑った。


「…な…!」
「シンディ」

そして今度は真顔で。

「…悪いけど。催眠は効かないわ」

キャシーのその言葉に、シンディはハッとした。

「催眠波を私にぶつけているのは最初から分かってた。あなたが催眠魔法を使えることは最初から知ってたから、注意していた」

注意してたけど忘れてたのよね、とキャシーは言った。

「何故、実技授業で。格下の教師が出てきた日に、格下の学生を『いたぶる』あなたが、その教師によって、あなたの言動を他の教師に報告されて、あなたの日は強い教師にならないのか。不思議だったの。だけど…考えてみたら当然なのよね。その教師は『あなたより弱い』んだから」

そう──シンディによって、催眠をかけられているのだ。

格下の相手に催眠をかけているのだから、その催眠が効きやすい。
しかも、格上のキャシー相手に催眠をかけようとしたところをみると、シンディは催眠魔法が得意なのだ。

「…上手いのね」
キャシーはそう言った。

「大したことのない指示の1つ1つでも、それを聞いて『私が』『自分の意志で』やっていく。だから決して催眠とは思わない。でも、小さな効力は積もって、やがて次に命じられたことが、あなたの本当の狙いだけれど私はいつの間にか術にかかっていて、その通りに動く──とね。そういう筋書きだったんでしょう?」

やってといって指示すること、疑問に対する回答を求めること。
全てが催眠に結び付いていく。

やってと言われたからやった、質問されたから、教えてと言われたから、答えた。
それ自体は実に些細な、「命令」とは呼べない日常会話程度である。しかしそこに催眠波を乗せていくと、実に素直に催眠にかかっていってしまう。かけられている方はかけられているつもりは一切ないまま、自らの意思で動いていると思うから。
そして徐々に自らの意思なのか催眠によるものなのか。
気付かないままにかかっていく──

「でも悪いけど、効かないわ。それは私があなたよりレベルが上だからとかじゃなくて…
──私も催眠魔法が使えるから」

シンディが息をのんだ。
催眠魔法は少し特殊で、使える魔法使いも限られる。
レベルがずっと低い魔法使いでも、催眠魔法をもたない高いレベルの魔法使いに催眠をかけることが可能だったりする。
…しかし、キャシーを普通の魔法使いと思ってしまうことは、間違いなのだ。

「そんな──…」



「キャシー!!」



声と、扉を開く派手な音とともに叫び入ってきたのは、

「アデューイ…!?」

シンディが呆然と扉を開けたアデューイを見た。
「アデューイ、あなたどうして…」
そう言いかけて、
「パメラ、ユーロパ…」
後から入ってきた2人を見て、その名を呟いた。

「──やっぱり…なのね」
誰もが声を発する前に、自らの歯をかみ砕きそうなほどにがにがしく、低くくぐもった声でそう言ったシンディをキャシーは見た。
「裏切ったのね…!」
そして、パメラとユーロパをまっすぐ見て、シンディは叫んだ。
「違うのシンディ、そうじゃなくて──」
パメラもユーロパも必死でその言葉を否定しようとした。


「裏切ったのね───!!」

聞く耳など、持つはずがなかった。

その言葉は、呪詛となって。
シンディの体から、大きな炎が噴き出した。

彼女の怒りの力。

シンディの呪咀が、パメラとユーロパへ…

「ダメ…!」

目をつぶったパメラ、腕でとっさにかばおうとしたユーロパ、水を出そうと手をかざしたアデューイ。
その3人の前に、キャシーは飛び出した。
炎はかばって前に出たキャシーに向かう──

当たる、と思った瞬間。

──―けたたましい音が、全ての動きを止めた。



「えっ…」




衝撃に備えようとした全員が、その音と、一気に収まったシンディの殺気に驚いて顔を上げた。
キャシーとアデューイは、ぱっと、パメラとユーロパはそろそろと。
その視線の先にいるシンディは、シンディの額あたりの高さで光と音を出してくるくるまわるクリスタルを茫然と見つめていた。


「い…行かなくちゃ」


そして発した言葉は、震えていた。


「え…ちょ…シンディ、行くってどこへ」
ユーロパが慌ててシンディの元に駆け寄った。パメラも後に続く。
その2人の顔を見たシンディは、

「キャシー…、私が今までかけてきた催眠魔法、その全部までも、解いたのね」

突然のシンディの思いがけない言葉に、キャシーは、え?と思わず聞き返した。

「催眠魔法…?」
パメラもユーロパもアデューイも、いきなり出てきた言葉に驚く。

「パメラとユーロパが来て、確信した。私…パメラやユーロパにも催眠をかけて仲良くしてもらっていたのかもしれない──」

「そ…」
キャシーが言い掛けた瞬間、

「そんなわけない!!」

泣き叫ぶような、悲痛な声がした。
パメラとユーロパが同時に叫んだのだ。

「そんなわけないよ、シンディ!…確かに──催眠魔法だなんて、びっくりしたけれど…。あたしたちは自分の意思でここにきた。シンディが大好きだから今までずっと一緒にいた。そして今だって、大好きなのは変わらない!」
「どうしてそんなことが言えるの?私はあなたたちに炎をむけようとしたのよ?」

パメラが一瞬ひるんだ隙に、シンディはキャシーに向き直った。
「さっき上手いのね、と言ったわね」
催眠魔法の使い方が上手い、と言ったキャシーの方に。

「確かにさっきまでははっきりと、あなたに催眠魔法をかけようとしていたわ。でも…今まで、こうしてくれたらいいな、こうしてほしいな、と思うことで、知らないうちに催眠魔法を使ってしまっていたことがあった。ずっと気付かずに生きてきたけれど、ある時、催眠魔法を使える魔法使いに、私の言葉には催眠魔法が乗っている時があると言われたの。まさかとは思ったけれど…色々と調べたり試したりしてみて…私のこのレベルVは、その結果なのよ」

そしてキャシーにしたのと同じようにして、レベルVの魔法使い──この学院の元生徒を倒し、そのレベルを手に入れた。

「ずっと怖かった。パメラもユーロパも、ずっと一緒にいてくれるけれど…。それは私が無意識のうちに催眠魔法を使っていたからじゃないかって。だって仲良くなっていた人のレベルを突然奪ったのよ。信用できなくなったって当然なのに、それでも一緒にいてくれた…」


「それは、…シンディの思想、夢──それはあたしたちの夢でもあるから!」

パメラは叫んだ。

「夢…?」
「そう。夢。高いレベルを手に入れて、この世の中を変えるって」
悪い部分を変えたいという、夢──

「だけど、君はさらに"レベルZ"の力を手に入れようとした。レベルVもある今、十分、将来学者になって政治にかかわることができるはずだ」
アデューイは厳しい目でシンディに向き直った。
「学者たちの中で強い発言権を得たいと言ったってVもあれば十分だ。どうして"Z"まで望んだ!?」
アデューイの追及に、シンディは俯いた。


「…それは理由があったから。強い魔法を使いたかったから。だから"レベルZ"を欲しがったんでしょう?」

キャシーがそっとシンディに問いかけた。

「え…」

シンディは顔を上げた。
目が、涙をこらえていることを訴えている。


「やっぱり──なのね。あなたのまわりで、波動を感じる。それは、あなたが外に開いた形で魔法を使っているから」

キャシーは『同じだから』分かる。
この人はイラセスカをしている。
実技授業の時にイラセスカを外すのは、いつも模範試合をやらされるから、その試合に集中することで、『外に開いた形で使っている魔法』が崩れるのを防ぐために違いない。
その魔法を緩めないように。


「一体何の魔法を、ずっと使い続けているの?」

キャシーは静かに、そして優しく尋ねた。
「その様子だと、もう、何年もなのね」

シンディは、深く息を吐いた。
「──そこまで分かるの」

息を吐くとともに伏せられた目。

長い長い間があく。

それが再びキャシーを見上げた時、ずっとずっと、長い間、彼女の中で黙っていて、言えなかったことが、明らかになる。
それを言う覚悟を決めているのだ。


「…魔法を使っている相手は」


シンディはゆっくりと顔を上げた。


「私の──祖母よ」






 
 
 





 

あとがき


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