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幸か不幸か、イラセスカをいくつかとっている。"レベル"までは程遠いけど。
できるかは分からないけれど、力付与の魔法を唱えるしかない。
…あの教師に止めさせるため。
教師しか止められないように、手が出せないように、この結界は張られている。
レベルYの長をはじめ、多くの超級の学者たちが力を込めて作り上げたものだから、キャシーが壊すことはできない。
力の問題よりも、心の問題が何より。
そっと、軽く握った手を、口元にあてる。
端から見ると、考え込むようなポーズにしか見えない。
魔法を唱えているのをばれないようにするためだ。
「"χονχεαλ μψ ιντεντιον, ι δο νοτ ωαντ το βε νοτιχεδ"」
深い息とともに紡ぎ出したのは、"魔法隠し"の魔法の詞。
魔法が教師にかかっているのが、魔法をかけているのがキャシーとばれないようにしなければならなかったから。
そして…
「"ι τηινκ τηατ ι ωιση. γιŵινγ ποωερ το τηε περσον"」
教師への力付与魔法の魔法の詞。
更にこれが、一気にかからないように、ゆっくりゆっくり付与していかなければならない。
かなりのコントロール技術を要する。
一気に魔力が上がることは、付与された魔法使いにとって危険なことだから。
「シンディ!警告します、試合をやめなさい!」
最初に少し力付与された段階で、教師に起こった変化は高揚感である。
とてもそんなことを言いそうにない気の弱そうな女教師だったが、与えられた魔力によって、急にそんなことを言えるような気がしたのだろう。
生徒たちは教師のその言葉に少しだけ驚いて見たが、確かにどう考えても緊急事態である。やっとまともに言ってくれた、という気がした程度だろう。
シンディはそれに対し、ちらっと教師を見て、見ただけで、再びビトレイに向き直った。
はっきりそれとわかる『無視』だった。
だが、シンディにそのような態度を取られても、教師にはどうしようもなかった。
明らかにシンディの方がレベルは上。
自分が結界の中に入って止めようにも、逆に自分がやられる恐れがある。
ビトレイへの攻撃をくらっただけ、とシンディが言えばそれまでになってしまう。
…それだけじゃなくて、ちゃんと止めに入るのよ。
止めに入れるくらいに、もっと魔力を――…
キャシーは更に全身に力を入れた。
最初に入った、と思ったのに、全然その後力を付与できている感覚がない。
少し力をこめてみて、…そして気付いた。
――だめだ、魔力が足りない。
力の付与も、"魔法隠し"も、かなり高度魔法だ。
それ単体ならともかく、両方を同時に使おうとしている。
中途半端なイラセスカの取れ具合で、レベルVやW程度になっている身では無理なのかもしれない――…
「"βυρν ανδ χαρρΨ ουτ βετραΨ!!"」
シンディの呪文と共に、また壁が壊された。
それを見て、観戦席はまた、騒然となった。
「ビトレイ!!」
何人もの子たちが叫ぶ。
『壁』と呼ぶにはあまりに弱い、膜のような壁が、ビトレイの荒い息とともに吐き出された呪文によって形成された。
皆その膜のような壁に、ビトレイの魔力の底が近いことを感じ取り、不穏な空気で満ちた。
そんな中、キャシーは見ていた。
「私だって強いのに――」
そう、シンディが呟くのを。
大きな力を手にした魔法使いが、自分の力を誇示したい気持ちはとても良く分かる。
良く分かるけれど――
それは、やってはいけない方法だ。
力はそのためじゃない。
そんなことのために振るっていいものではない!
ぐっと手に力を込めた。
――お願い、効いて、魔法。
イラセスカを取って""に戻って、としている余裕はない。
何より""に戻ったら、皆に気付かれる。
ビトレイの防御壁は、あと1枚。
薄い薄い膜のような防御壁が1枚。
シンディはそれを見てにやりと笑い、呪文の詠唱に入る。
ビトレイは更にそれを見て、必死でそれまでよりも強い壁を出そうと、新たに魔法を唱える。
ダメよ、もう魔力がほぼゼロなのに、無理にそんなに大きな力を使おうとしたら――!
パキン…
どこかからか、そんな音が聞こえた。
キャシーはそれには構わず、全身に力をこめて、教師に向かって魔法を送り続けた。
どんどん力が入っていく感覚。
教師に、力が送りこめている。
シンディよりも強くするには、あともう少し…!
…パキッ!!
更に鈍い音がして、でも、ぐっと、教師へと力が入った感覚があった。
そしてそれは、教師すらも気付いたのかもしれない。
自らの手のひらを驚いたように見つめていた。
――――大丈夫。できる。
――――あなたの今の力なら、あの炎を吹き消せる。
キャシーはゆっくりと、教師の心に囁いた。
風の魔法、あの教師はそれが得意である。
炎の魔法を駆使しているシンディよりも、力が大きくなった教師であれば、水でなくとも炎を抑えられるはず。
そう、吹き消すのだ。
「警告を無視したとみなします!」
教師は凛とした大きな声でそう叫び、シンディの方に手をかざした。
…おそらく、シンディにもそれは聞こえていたと思う。
「"γροαν, μψ ωινδ, Ψου χαν δο ιτ, ι κνοω"」
教師は唱えた。
風の、それはそれは大きな風の魔法を。
どこからか、唸りが聞こえた。
え、と思った瞬間、猛烈な突風が吹いた。
生徒の大勢が叫び、とっさに身を伏せたり、マントで体を覆って耐えるしかなかった。
風はそのまま、結界内に突入し、シンディを取り巻く炎に向かった。
シンディも突風に驚いて叫び、顔を守るように腕を上げた。
シンディがまともに見れないその状態で、風はシンディの周りの炎を一気に吹き消し、更に、ビトレイを檀上から吹き飛ばした。
結界から飛び出したビトレイは、体を優しく包む風によって受け止められ、そっと床に下ろされた。
ビトレイは自分が助け出されたことに気付き、安堵によって気が抜け、そのまま意識を失った。
魔力の回復のための眠りに入ったのだ。
――風が止んだ時には全てが終わっていた。
「…ビトレイ、場外。試合終了!」
教師はそう叫んだ。
本来なら勝者の名を言うはずだが、彼女はシンディの名前を挙げなかった。
「あ、あなたたち、ビトレイを保健室に連れて行って、私は授業を終わらせたらすぐに駆けつけます」
かわりに、近くにいた生徒数名に声をかけて、指示した。
あとには、ただ茫然と壇上で立ち尽くすシンディの姿があった。
「うわ…」
キャシーは小さく呟いた。
「やっちゃった…」
授業後、気分が悪い、と別室で休んでいるシンディ。
そして当然それに付き添って消えたユーロパ。
その他はお昼休みだから、とさっさと着替えて消えた女子生徒たち。
…ここは女子更衣室。
パメラが単体でキャシーをお昼に誘う訳もなく、アデューイが女子更衣室まで来れるわけもなく、安心してひとりでいられるわけだが、それ以上にキャシーは今、ひとりで確かめなくてはならないことがあった。
『異音』の正体である。
力付与の魔法、魔法隠しの魔法を使った時のあの異音。
勿論気にはなったけれど、それよりも教師に魔法を使うことに集中したから無視したけれど…
授業後、これ以上ないほどの違和感に体中がぞわぞわした。
一体何があったのかと動悸が激しい中、更衣室の中にあるシャワー用個室に入ってキャシーが目にしたのは、粉々になった髪留めと、大きなヒビの入ったチョーカーだった。
そう、両方とも出力制限アクセサリー。
ゴムでも髪をとめているので、髪型が大きく崩れたりすることは防げたので特に誰にもばれていないと思うが、それにしてもこれは。
全く出力制限として役目をなさないことになる。
チョーカーもそうだ。
普段は水晶とマントによって隠れている首にまいたチョーカー、シンディはこれにも気付かなかったようだからそのままにしておいたが、この太くて強力なチョーカーがヒビ割れるなど、尋常ではない。
ヒビは多分チョーカーを分断しているだろう。とすれば、これも出力制限の意味をなさない代物になってしまっている。
―――おそらく…私自身も結構無理な力を使ったから…?
制限をかけている状態で、強引に強い魔法を使おうとしたせいで、負荷がかかりすぎてイラセスカが壊れたのだろうとは思うが、だけどそんなこと初めてだし、何より聞いたことがない。
というか、そういうことが起こらないようにしているのがイラセスカなのであって、無理に力をかけたからといって壊れていては意味がない。
「仕方ないか…」
キャシーはため息をついた。
「テネシーのところに行くしかないわね…」
学校休んでばっかりだわ、と思った。
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