授業は特に問題なく進んだ。
何故ならキャシーは結局2組のクラスメイトたちと授業を受けることはなかったから。
入学許可がおり、勿論生徒となったのだが、最高級の魔法使いであるキャシーをどうすればいいのか、どのような授業を受けさせるのか、まだきちんと検討されていなかったのだ。
何それ、とキャシーは思ったが、確かにいきなり実技の授業とかに放り込まれても困る。
結局、紹介された後は別の教室に移動して、座学というか、オリエンテーションとなった。
この世界の仕組み、成り立ち、この郷──魔法使いの存在意義。
そしてそこから、この学校の成り立ち、存在理由やその意義に発展する。
それを説明してくれたのは、魔法使いの中で自分ほど歴史に明るい人はいないと豪語する先生だった。
「高いレベルを持つ魔法使いほど重い責任を負わされるのですよ。この学校の生徒はそれをよく分かっていなければなりません」
熱く語る彼には、キャシーの冷えきった心、それを物語る目は伝わらなかったようだ。語りすぎて気付かなかったのかもしれないが。
──その言葉、""になってから何度聞かされてきたことか。
誰に向かって喋ってるつもりなんだ?とさえ思ってしまった。
「我々の郷は、学者たち元老院の魔法使いたちが結界を張っていることで外界からの侵入を受けることなく存在できます。不可触域として。ただこちらからはいつでも行けますけどね、魔法の詞さえ知っていれば。外界と我々は特殊な関係なのです」
──『ただこちらからはいつでも行けますけどね』
さらりと言われたその言葉はあまりに重く、キャシーの心にのしかかった。
「ただ、中には己が選ばれた魔法使いであることを悪用する者たちがいます、むしろ後を絶たないのです」
教師はそう言って、眉間にしわを寄せる。
よくない話に入る、という合図のようだ。
「そういう魔法使いたちを"負の魔法使い"と呼んでいます」
そして逆に普通の魔法使いたちは"正の魔法使い"となる。
「各国の権力者たちに取り入り、好き放題に生きる負の魔法使いたちを捕え、そんな彼らから二度と使えないように、魔法を奪うのも我らのすべきことの1つでもあります。外界を魔法で混乱させてはならないからです。その混乱はやがてこちらに害をなします──何よりこの郷を守ることが我らの使命ですから!」
人差し指を立てて、それを高く上にかざし、敵の首をとったり!とまさに「決まった!」という瞬間だった、
が。
「…そしてそんなことを決起した血気盛んな魔法使いたちを守ることもまた、私の使命です」
静かな言葉が落ちた。
熱く語っていた教師ははっとしてキャシーを見つめた。
魔法使いたちを守ることを使命だと言い切れるのは、学者たちだけのはず──
「学者たちを守るのもまた私の使命です」
心を読まれたかのようなその言葉は、いよいよ教師を困惑させ、怖れを抱かせるのに十分だった。
「ねえ、教えてください。どうしてそんなに強く思えるんですか?この郷を守ろうと言える原動力は一体何?」
キャシーの問いはもっともなもの、でも教師は黙ってしまった。
「どうして答えられないの?大切な人がいるから「守ろう」「守りたい」ってそう思えるのでしょう?自分とその大切な人の住むこの世界を守りたいって思えるのでしょう?それが原動力となって、魔法の強さにも心の強さにもなる。違うの?」
違いません、そうです、と小さな声で教師は答えた。
悪いことをした子供と母親のような構図である。
実際教師は何を怒られているのかよく分からない。
良く分からないけれど──、キャシーの得も言われぬ迫力に圧倒されていた。
「だけど私は──」
この郷に大切な人など──…
──いや、だめだ!
ぐっと手を握り締めた。
これは、やつあたり以外、ない。
この教師に当たってどうするのだ、確かに私に土足で入りこまれたけれど…!
「…共に、この郷と、外界を守っていきましょう」
ね?と少しだけ微笑んで教師を見やると、教師は実に素直にコクンと頷いた。
キャシーもそこで少し頷くと。
もう授業は十分、と、シンディ風ではなくきちんと出入り口から教室を後にした。
──確かにこの郷に大切な人などいなくて、それは原動力にはならないけど。
それでもこうして立っているのはたった1つのことを支えとしているから。
もう二度と会わないと誓ったけれど、それと同時に決めたのだ。
魔法使いたちの秩序も、
それを守る上級の魔法使いたちも、
全ての魔法使いの住まうこの郷も、
全ての魔法使いたちと郷を守る学者たちも、
魔法使いではない普通の人間──通称"テラ"たちも、
彼らの住まう世界全ても
何の因果か私に与えられた強大な力で守ってみせる…と。
大切なあの子のために、
優しい乳白色をまとったあの子のために。
唯一無二、私を信じてくれていたあの子のために。
ふわり、と蝶が2頭舞ってきて、そのうち片方がキャシーの左肩に乗った。
──ここは『裏の森』と生徒も教師もが表現する、学院の裏手に広がる森の中。
キャシーが幼い頃によく隠れて泣いた裏山に似た森。
やはり落ち着くのか、知らずここに足が向いていた。
そして何となく、惹かれた木に登ってぼうっとしていた。
そのキャシーの肩に蝶。
「──誰?」
キャシーは視線を1mmたりとも動かすことなく、表情1つ変えることなく、幹に座る自分の膝を見降ろしたままそう言った。
「ごめんごめん。蝶ならもし仮にあたっても痛くないし、そもそも嫌だったらそれぐらい止められると思ってさ」
そんな声がした。
男の声である。高すぎも低すぎもしない、若い声。
左肩に止まらずにいたもう1頭の蝶は、キャシーの膝に舞い降りた。
そこが落ち着いたのか、じっとしている。
…この蝶の雰囲気からすると、式魔使いの式魔じゃない。
もっと得意とする魔法は別で、おそらくレベルもそこまで超上級ではない。
そう思って、ようやく声の方向を振り向いた。
キャシーの視線に対し、屈託のない笑顔を見せる少年。
とても優しそうな少年だった。
年齢的にはキャシーより上、15、6歳であろう。
「…誰?」
再び問う。
今度は、不特定多数に対する"誰"ではなく、個人名や所属を尋ねたものだった。
少年もそこは分かっているようで、
「僕はアデューイ。アデューイ・テリオスカイ。君と同じクラスだよ」
そう答えた。
キャシーは考えたが、シンディが突然飛び込んできたことで始まった2組生活。
もともと周囲と慣れ合うつもりはさらさらないので、敵意を持った人間と恐怖心を抱いた人間を識別する以外に"個人"を見分けてはいなかった。
…というか、クラスメイトとほとんど一緒にいた時間がない。
「…気付かなかったわ、ごめんなさい」
「いいよいいよ、僕らからすれば君ひとりに対し、君からすれば多いしね」
一応謝ったキャシーに、アデューイはにっこり笑った。
距離を保ったまま降りることもなく上から見下ろすキャシーだったが、彼は全くそのようなことを気にしている風はない。
まじまじとレベルTの水晶を胸元につけた少年を見つめるキャシーだったが、相手の本心を探るその眼が勝手に発動し、アデューイの体から出るオーラ調査が始まっていた。
だが、その結果はキャシーを大いに驚かせた。
(──―嘘)
シンディやその他の人から出ていた敵意むき出しの禍々しく赤いオーラじゃない。
恐怖を浮かべた目でも表情でも、それを示す蒼いオーラでもない。
アデューイの体から放たれていたのは、優しい乳白色のオーラだった。
そんなバカな、
今までこの色を見たことがあったのは──―…!
「──それよりキャシー、シンディには気を付けて」
いきなりアデューイはそう言った。
キャシーの中では混乱が起こっていた上に突然の話題転換、脳内ではますますパニックを起こしかけた。
おそらくアデューイがキャシーの近くにいれば、彼女の顔色や表情の変化に気付けたであろうが、キャシーは決して木から下りようとはせずにいたし、アデューイも不必要に距離を縮めようとはしなかったから。
「…どうして?」
「シンディに気をつける理由かい?」
思わず小さく呟いた声に、アデューイが答えた。
だがその回答はキャシーが呟いたことへのものとは違っていたが、それでも聞きたかったことの1つではある。
そのことに我を取り戻した。
「いいかい、キャシー、シンディは自分より強い者に近付いて親切にして、油断させて、仲良くなったところで倒──」
「知ってる」
「…えっ!?」
「それは『視たら』わかる」
この忌々しい""の目のおかげで。
それは、これ以上ないくらい明確な答えだけれど。
この眼を持たないアデューイには、この眼がどんな眼なのか分からない彼には、いや、誰にでも分からない答えだった。
実際、アデューイは首をかしげた。
だけど、首をかしげたいのはこちらだった。
「そうじゃなくて。『どうして』忠告してくれるの?」
わざわざキャシーを捜してここへ来たのだろう。
おそらく授業を終えてすぐに。
理解できない、というようにアデューイを見降ろしたキャシーに、アデューイは笑顔で言った、
「君と仲良くなりたいんだ」
──と。
彼の浮かべた笑顔はとても優しく、思いやりに満ちていた。
それはその言葉と矛盾することなく、オーラの色と違うこともなく。
でも、キャシーはぐっと唇をかみしめて、睨むようにアデューイを見た。
…いや、実際に睨んだ。
それも強い憎悪の念を持って。
だから強い口調でまくしたてた。
「好奇心から?遊び心?怖いもの見たさ?珍獣的興味?…それとも」
キャシーはそこまで一気に言った後、言葉を切った。
…声は、思ったより震えなかった。
表情はこれ以上ないほど非難の笑み。
全身から全てを否定する念が放たれ、それが遥か頭上から曲がることなく真っ直ぐに降ってくる。
アデューイは目を丸くしてキャシーを見守った。
──今まで同じようなことを言ってきた人がいないわけじゃなかった。
でも、皆、狙いは一緒だった。
「──―""になりたいから?」
皆、口と本心とでは違っていた。
それは眼が教えてくれた。
だから信じられなかった。
特に、こういうことを言って近付いてくる人間は、誰一人も。
「そんなわけないだろ!僕は""なんて求めてない!」
フッと鼻で笑うキャシー。
全く信じていない。
信じる気もない。
バカにするだけ。
アデューイは必死になった。
「本心だよ!君と友達になりたいんだ」
「と、も、だ、ちぃ?」
挙句、アデューイは言ってしまった。
"友達"…それはまさに禁忌の言葉。
最も言ってはいけない言葉であった、キャシーに向かっては。
「思い切ったギャグとしては新しいけど、笑えないわね」
氷のような言葉を吐いて、キャシーは座っていた幹から立ち上がり、上空に向かい、浮かび始めた。
キャシーの体に止まっていた、アデューイの式魔の蝶は慌ててキャシーから離れ、主の元へ降りた。
とまどうようなアデューイの気配を感じて、聞こえるように少し大きな声を出して言った。
「もう帰るわ。──ああ、ちょうどよかった。明日私学校休むから。誰か先生に伝えておいてくれると助かるわ」
そしてキャシーはそう言い捨てると、一気に上空まで飛びあがった。
今現在はレベルSのキャシーだから、レベルTのアデューイが本気を出せば多分追いつけなくはない。
だが、アデューイは自分を追ってきたりはしないだろうとキャシーは思った。
…一体何を考えてるのか。
あの優しい乳白色、あの子と同じオーラに包まれていたように見えたから、思わず話をおとなしく聞いてしまったけれど…
私が愚かだった。
所詮人間は2種類なのだ。
私を倒して自らが"レベル"になろうと敵意をむき出す、赤いオーラの人間と。
私を恐れる、恐怖の念を示す蒼いオーラの人間と。
優しい乳白色のオーラのあの子には…
──もう二度と、会えない。
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