Magic74. 父親(4)    
 
 




「エルシュの訓練は厳しかった。まさしく修行というか…」
ため息混じりに言うオーサーに、キャシーもアデューイも肩をすくめる気分だった。

超級はありそうで、かなりのセンスもあるしっかりした大人の新人魔法使い。どう考えても見事な『即戦力』だ。
『使える』ように制御を叩き込ませ、必要な魔法をだけを教えればいい。
そこに理論などの説明はいらない。ただ使えさえすれば。そう、自分たちにとって都合のいい魔法を使えさえすれば。
──と、自分が『負の魔法使い』ならそうする、とキャシーもアデューイも思った。


「そこで一体何日過ごしたのかは分からない。毎日ヘトヘトになるまでやらされて、必死で飯を食って部屋に帰って泥のように眠るような生活を送って…」
それは訳がわからなくなる、というより、訳がわからなくなるようにしたのだろう。

「まぁおかげでかなり制御できるようにはなったなと思ってはいるのだが。ジェーンにはすっかりへそを曲げられてしまったけど」
膝の上で、自分の袖をつかんだまま眠るジェーンを見下ろす。
エルシュは明らかに自分にかかりきりだったから、無理もない。

「エルシュはずっと一緒にいたの?」
キャシーが聞いた。
「最初はそうだったが…ちょっとずつ、課題を与えて自分はやることがあるとかでいない時とか、誰かに呼ばれたと言って席を外したりはあった。でもそんな長時間じゃない」

こっちにちょこちょこ戻って来ていると思ったのだが、違うのだろうか?

「でも夜部屋に戻ってから朝行くまでも一緒ではないですよね」
アデューイが聞いた。
キャシーの聞きたいことが分かったらしい。
「あぁ、それは勿論。それに俺はともかく、ジェーンにはあまり長時間の訓練をさせられないとかで、時間的にはそんなに長くはなかった」

遅い朝食後、軽く復習を兼ねた訓練をして昼食、午後はしっかりみっちりやって夕食前に解放。そんなところだろう。
そしてそのスケジュールはまさしく郷でジェーンが行くべき最初の学校の日程によく似ていた。
いずれにせよ、エルシュの自由になる時間は夜から朝にかけてかなりあり、やはり行き来していた可能性は高い。
「でも皆が捜している中、危険をおかして来るのかな」
アデューイがキャシーに聞く。
「…」

エルシュという人間を理解した訳ではない。むしろ多分、全然だろう。聞いた範囲など多分ごく一部で、そのような性格と思わせているだけかもしれない。
ただ、もし一環して、聞いた中で判断できる性格だとすれば、確実に来ているだろう。それも、愚かだと我々を笑いながら。

「特にその修行中に変わったことはなく、毎日同じように野菜やら?」
キャシーは聞いた。
「ある程度野菜で求められることができたら、その地鳴り魔法を野菜に…」
オーサーの回答にそう、とキャシーは言う。

「ご飯は?どこで食べてたんですか?」
アデューイが聞いた。キャシーは鋭い、と思った。
もし食堂とかであれば他の人間を見た可能性が高いからだ。
「昼はいつも訓練していた体育館の隅っこだよ。時間前になるとエルシュがいつの間にか食事を用意していて。そこでそのまま食べていた。時間がもったいないからと言われて」
それは確かにスパルタだ、とキャシーとアデューイは思った。
「ジェーンがそれも魔法で出したのか、って聞いた。あまりにいつの間にか、というのが強くて」




「それどうやって出したの?魔法みたい!」
と言ったジェーンに苦笑するエルシュ。
魔法使いが魔法使いに言う台詞として、あまりにおかしかったのだろう。

「これは魔法じゃなくて、ちゃんと人の手で調理したものですよ。持ってきてくれた人は魔法で持ってきてくれましたが」
隣のロッカーへは色んな人の魔法陣がつながっていて、作った人が届けてくれるのだとエルシュは言った。
「朝ごはんも夜ごはんも、お部屋に帰ると置いてあるのも持ってきてくれてるの?」
ジェーンは聞く。
朝と晩は部屋に帰ると机に用意されていたため、毎日部屋で食べていた。そしてそれはいつだって温かく作りたてで美味しかった。
ジェーンはすっかり『コビトさんが用意してくれたか魔法だ』と思っていた。
自分だって魔法使いなのに、どこかそういう童話の魔法とは別だと思っているようだったが、オーサーは敢えてそれを指摘したりはしなかった。
それは自分自身でも、自分たちが習っている『魔法』はお伽噺とは全く違うと感じているせいだからかもしれない。



「──それはある意味ただしい」

キャシーは下を向いたまま言った。
苦しく重い言い方だった。

アデューイは何も言えず、オーサーはどういう意味かを何とか聞こうとしたが、

「それで、こちらに戻って来たのは?」

と顔を上げ、オーサーの話を先に進めさせた。
そんなキャシーの様子に、オーサーはやむを得ず続けるしかなかった。

「…本当にそれはいきなりで、ではまた明日、と前日には言っていたんだが…」
朝、部屋でご飯を食べ、そろそろ行くかーと言っていた時。
部屋をノックする音が聞こえ、ジェーンと顔を見合わせた。
いつも部屋から、部屋の中から、直接魔法陣に乗って体育館に向かっていた。部屋の扉から出入りすることがなかったため、扉というものの存在が不思議な感覚だった。

「私です、エルシュです」
どうしたものかと考えているとそんな声がした。
安心させるために言ったのだろうと分かり、扉を開けた。

「すいません、急に。──突然ですが、戻らなければならなくなりました」

戻る?
一瞬悩んだが、

「あなたたちの住んでいた場所へです」


言われた瞬間、ジェーンの表情が変わった。
もしかしたら自分の表情にも出たのかもしれない。

「急遽、今から行かなければなりません。そして、一緒に来てほしいのです。あなたたち2人とも」

何故行くのかも、何故自分たちも必要なのかも、尋ねても一言として言わなかった。
ただ一緒に、と。


だがジェーンも自分も、反対しなかった。


帰りたい──そう思っている自分たちを、エルシュに見透かされたような気がした。
特にそう思っているのは間違いなくジェーンだ。
日々の修行で疲れきっていたのをいいことに考えないようにしていたが、やはり──。
何不自由なく、美味しいご飯もふかふかで温かく清潔な布団が用意されていても、心が家を求めていた。そこまで、どうしてなのだろう。

危険ではないのか、ということだけは戻って来る前にどうにか聞くことができた。
帰りたいと願っていた場所へ帰れるということに呆然として頭が回らなかった。また、エルシュがひたすら急かしたということもある。

「危険は危険です。でも私は自分で身を守れるし、あなたにも守れるよう教えたはずです。そしてジェーンはあなたが、それから私も守れます」
それからエルシュは防御壁だとか魔力付与だとか言って魔法をオーサーとジェーンにかけた。


初めて出る部屋の出入口である扉の先、廊下の、さらに先に案内される。
静かな廊下、おしゃれなインテリア、絨毯の床。ここに来る前一晩泊まったホテルの廊下と似ていた。部屋の扉が並んでいないところが違うが。

「ここです」
エルシュは言って、ノックもなく廊下の途中にあった扉をあけた。
中にはこぶりな魔法陣があった。

「あなたのように魔力の強い魔法使いには必要ありませんが、ジェーンのように弱い魔法使いのために、テラの世界への魔法陣を用意してあります」
エルシュはにっこり笑った。
さらに
「発動させますよ」
そう言ってから、詞を唱える。

現れた光の道、陣道。
導かれるままに惹かれるままに一歩踏み出せば、あっという間にその道の先は。


「あぁ!クリムストリートだ!!」

ジェーンの歓声でハッとする。
気付けば近くの大通りを歩いていた。


──帰ってきた。



「そうですよ。──おかえりなさい」

エルシュは綺麗な笑顔で言った。



     



そのまま、しばらく歩いた。

どこをどう歩いているのか、手に取るように分かる。
少し薄汚れた空気、街並み。

ジェーンに生まれた力と、突然わき起こった自分の力。
それは魔力と呼ばれるもので、そして自分たちはあっという間に魔法使いになっていた。
少し前まではこうして周りを行く人のように、ジェーンと二人で、貧乏だけどもつつましく生活していたというのに。

そうか、帰りたかったのは、場所だけじゃない──


「ちょっと待ってください」


急に聞こえた声に全身がびくっとなる。
ジェーンが立ち止まって見上げる。
エルシュが、気持ちとともに先を歩く親子を呼び止めた。

「…ふむ…。上手くいっていればこのあたりにはいるはず…」

エルシュはそう呟いて、
「ちょっとやすんでいきましょう」
訓練のスパルタぶりからすると似つかわしくないことを言い、オーサーやジェーンの意見を聞かずに近くにあったカフェに入った。
そしてそのまま
「珈琲を」
とすました顔で言う。
慌ててジェーンとふたり、追いかけて店内へ。メニューを見て頼む。支払いはエルシュがした。

──特に会話はなかった。
ジェーンがぐるぐるとストローでオレンジジュースをかきまぜたり、袋で遊ぶ以外、これといって動きもなく。

エルシュはたまに親子を見て、でもほとんどを外──道を往来する人たちを見ていた。
店に入る前に呟いていた内容とあわせても、誰かを待っているようだった。



「あ」


しばらくしてから漏らしたその声。
ジェーンもエルシュを見た。

「あぁ…やられましたか…」

不穏な一言を深い息とともに吐き出し、突然立ち上がった。

「行きましょう──いえ、来てください」

そしてエルシュは札をテーブルにポンと置いて立ち上がると、オーサーの腕を取る。
まだ行く準備をしていなかったから慌てたが、少しも待ってはくれなかった。
ジェーンがぽかんとして見ていたので、ジェーンにあいていた手をのばしたが、手をつなぐこともできないまま外に連れ出され、さらにぐいぐい引っ張られる。

「ま、待て、ジェーンが」
「大丈夫、あの子は追いかけてきます。それにここは地元でしょう」
確かにこのあたりはジェーンもよく知っている場所だ、と思った。なんとか首をひねって振り向くと、ジェーンが店を出ようとしているのと目が合った。見失ってはいないことが分かった。

いくつか先の裏道でエルシュは曲がり、急に止まると。
オーサーを表の大通り側に立たせ、自分はその陰に入った。
このファーキ路地はどこへの近道でもなく、店もない本当に裏路地で、人通りもほとんどない。そんなところに入るから何事かと思ったが。…目的は違ったのだ。

「あの少年を見てください。あれが『負の魔法使い』、危険な存在です」

エルシュは言った。

わざとオーサーを通り側に立たせ、その少年──ロージに気付かせたのだ、
エルシュの身は裏道に入っているので、少年からは見えない角度になっていたのだ、
と今からすればそう思う。

「私はこちらで便宜を図ってくれる人物と待ち合わせをしていたのですが…あの少年がここに来たということは、その人は彼にやられたのでしょう」

あの少年が?と信じられない思いで見つめると、少年と目があった。
心臓が大きな音を立てた。

「…気付かれましたね」

エルシュの言葉に慌てて路地の奥に入ろうとすると、


「待って!どこ行くの!?」


急に聞こえた娘の声に息を飲む。

「ジェーン…これはマズイ。あの子は逃げ切れないかも…」
「『逃げ切れない』!?」
意味のよく分からないふざけた単語にカッとなる。
「仕方がありませんね、向こうが攻撃してくる前にこちらから仕掛けるしかありません」
エルシュはそんなことは気にもせずため息とともにそう言った。


ジェーンが駆け込んできた。
オーサーは抱き止め、自分の後ろにジェーンを回す。

エルシュは物陰に身を潜め、

「手助けします。教えたあの魔法を使いなさい!」

そして少年が駆け込んできた。
オーサーは言われた通りに呪文を唱えた──





あっさりと最初の土盛り魔法は弾かれたが、エルシュが気を引いている間に地鳴り魔法を成功させた。
それが脳に直接衝撃を与える危険な魔法だとは知らずに。

「見事ですね」
エルシュは言って、少年に近付く。

彼は倒れたとき、近くにあった物の角に右肩をぶつけて出血していた。
既に意識を失っていたので受身も避けようもなくもろにぶつけたので、思いのほか深く切ってしまったようだ。

「本当に…こんな少年が…?」

幼い顔を見て、自分のしたことが急に恐ろしく、迫ってきた。

「見てくれに騙されてはなりません。魔法使いの中には変身魔法を使える者もいるのですから。この少年も子供かどうか」
「でも本当に子供かも…」
「そうかもしれませんね」
あまりに軽く返され、言葉も次げず、エルシュの背中を見つめた。
彼はこちらに背中を向け、しゃがみこんで何やらやっている。シャツを脱がして細工をしていたことを知ったのはここを立ち去るときだった。

一体どんな顔をして、そんなことを言っているのだろう。
本当に子供かもしれないという可能性を無視して容赦もなく…。

底知れぬ恐怖が沸き上がってきた。

「…おにいちゃん、ケガしてるの?」

自分の後ろにいたと思っていたジェーンの声にハッとする。
そっと脇からエルシュの先にいる少年を見ていた。
血が見えたのだろう。

──ジェーンを、これ以上こんなことに巻き込んではならない。

自分の中のどこかで、強くそう思った。

「ジェーン、あのおにいちゃんのケガを治してあげないと」
小声でジェーンの耳元で囁く。
内緒話だと察したジェーンも小さな声で、うん、と頷いた。

「ケガには?」
「くすり!」
「ということは?」
「ヒュートのおばちゃんの薬だね!」
「もらって来れるか?お父さんはここで応急措置をしておくから」
「うん!」

ジェーンは素直に、路地を走り出ていく。
家からここはそこまで遠くない。

「あれ?ジェーンは?」
エルシュは手をはたきながら立ち上がって振り向き、ジェーンがいないことを聞いてきた。

「彼の血を見て、薬がいるだろうと取りに行った」
「…戻ってくるまで待て、と?」
エルシュの目がすっと細くなった。不穏な気配。

「ああ…」
「無理です」
被せぎみに返され、
「一刻も早くここを離れなければ」
「だがジェーンが」
「あとで探しましょう、大丈夫です、あの子はまだまだ制御ができない。魔法を使うと思います。そうしたら私は場所を感じられますから」


     


「それでジェーンをおいて離れたの!?」
キャシーが叫ぶ。明らかに責めていた。──無理もない。アデューイも変だと思った。

「もし…ここでエルシュに逆らったら、多分近いうちに俺もこうして地面に転がるんだろう、そう思った──本能で」

その言葉にハッとする。
エルシュに対するまさしく本能的な恐怖。それは人間的な部分と、なにより魔法使いとしての本能のことを言っているのではないか、とキャシーもアデューイも思った。
『魔法使いの本能』は魔法使いにとって大事で、レベルが水晶で見える以上に『この人にはかなわない』と思わなければ下手な勝負を挑んで命を落とすことになる。或いは知らないうちに催眠をかけられたり、一服盛られたりするからだ。
それにレベルが下であっても、何が起こるか分からない。

オーサーが感じたエルシュへの恐怖はどちらもありうる。

「『負の魔法使い』の報復よりもずっとエルシュの方が恐ろしかった。もし俺が死んだら、ジェーンはどうなる?ジェーンも殺されるのではないか──それだけは避けなければ、と思った」

その後すぐ郷に戻ったエルシュとオーサーだったが、同じ場所から郷に戻ったというからロージがやられたと大騒ぎになっていた大使館を突破することなど簡単だったのだろう。

「郷に戻ったが──勿論、ジェーンを探しに行かなければとずっと思っていた。ジェーンが泣いている顔がずっと目の前から離れなかった」
オーサーはうつむく。
「こちらへの魔法陣のありかは分かっていたから、エルシュが発動させた魔法も覚えていたし…というか修行していた体育館から部屋への魔法陣の発動魔法と似ていたから覚えてられたんだが…だから俺だけでもこっちに来れると思った。だが実際はなかなかエルシュの目を盗むのが難しくて…本当にごめんな、ジェーン…」
「お父さん…」
いつの間に目を覚ましていたのか、ジェーンがオーサーを見上げる。

「時期を見てあなたをこちらによこしたんでしょうね」
キャシーが吐き捨てるように言った。

「え?」
「エルシュほどのレベルがあれば、魔法陣なんて必要なく3人問題なくこちらに送れるはず。それを敢えて魔法陣を使い、詞も似せたのをあらかじめ教えておいたなんて、自分で戻ってくるように仕組んだに決まってる」
正確なレベルは知らないけど、相当高いはずだから。
「だってそもそもあなただって魔法陣なく来られるのよ、それはエルシュも言ってた通り。でも教えるのが大変そうだからってそうしたんだわ」
さすがに簡単な詞というわけにはいかないから。

黙ってしまったオーサーに、キャシーはため息をついて聞いた。

「どうやってエルシュの目を盗んだの?」






   

 
 
 




 

あとがき



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