「""を…?」
アデューイもシンディも、気付いたらそんな言葉が口をついて出ていた。
キャシーは黙って頷く。
「そう考えると流れがあう」
「どういうこと?」
キャシーはそれに答えるかわりに、ジェーンに尋ねた。
「どうしてお父さんのそばを離れたの?」
状況を教えて、とキャシーは言った。
ジェーンは聞かれた瞬間、強張った顔をした。
猛烈に何かを恐れている様子だった。
「大丈夫。ゆっくりでいいから話してみて」
ジェーンはキャシーを見上げ、不安な目の色を映す。
「…エルシュが突然、戻ろうって言い出したの」
郷で、朝ご飯を食べている時にいきなり言われたという。
父親が尋ねたが、理由は不明。
ただ、エルシュがどうしても戻らなければならなくなって、しかもそれに二人にも同行してもらわなければならない、と。
「それで戻ってきて…?」
シンディが促した。
「カフェに入って、好きなもの頼んでいいよって言われて、オレンジジュース飲んで、えっと」
ジェーンなりに必死だった。
キャシーたちも我慢強く情報が引き出せるまで待つ。
「それで、エルシュがいきなり行くぞって。あたし、まだ残ってたし、でもお父さんを引っ張って行くから追いかけて…」
だが、ジェーンはそこで止まった。
「どうしたの?」
「…」
「…それではぐれちゃったの?」
お父さんから離れたことを聞いているので、そういうことかな、と助け船を出しても何も言わない。
アデューイとシンディは困ったように顔を見合わせる。
「…それで…あの裏路地に繋がるの?」
キャシーはそっと聞くと、ジェーンの全身がビクッとなった。
それはどう見ても肯定だった。
「『あの裏路地』…?裏路地ってまさか!」
何を示しているか気付いたシンディを、キャシーが睨んで止めた。
「あなたのことも、あなたのお父さんのことも、責めたりしない。何があったかを、ただ、教えてほしいの」
キャシーは言う。
普通に考えれば、ジェーンがロージを知っている可能性があることに気付けたのに。
保護対象のジェーン本人を保護できたこと、エルシュという『負の魔法使い』や内通者の明確な存在を示されたこと、そこから郷にロージを探しに行くこと。それを副リーダーに邪魔されたり先生に怒られたり、ジェーンをまた救いに行くということ…あまりに色々ありすぎて、追いついていなかった。
…いや、それはただの言い訳にしか過ぎない。
「あなたたち親子は何も悪くないことは分かってる。ジェーンは?まだ私たちのこと、信じられない?」
キャシーは優しく諭す。
アデューイはキャシーが、思いがけず必死で聞いていることに気付いた。
──そうか、キャシーは。
キャシーはぶれなかった。
ずっと、首尾一貫して、キャシーはロージを助けることだけに集中していた。
だからジェーンにこだわったのだ、ロージ失踪の真相を知っている可能性を見据えて。
全てを知っているジェーンを護ることは絶対だったし、より確実に真相を知るジェーンの父親に結び付く可能性が高かったから。
敢えてここまで聞かずに来たのは、ロージの戦闘を、傷ついた様を見たことがジェーンにとってショックになっていることを考えて。
もしそうなら、父親から聞こうとしてジェーンと共に父親探しに出たのだろう。
…勿論、自分らを信用してもらう言動とか時間とかあるとは思うけど…
「…ううん」
信じられないなんて思ってない、ともごもご言うジェーンに、
「ありがとう」
にっこり笑うキャシー。
アデューイもシンディも、自分たちはあんな顔向けられたことない、とぼんやり思った。
そんなことは知らないジェーンは、その笑顔にまた心を許したらしい。
「…お父さんは…ファーキ路地で曲がった。あんなところ何もないのに」
さすがに地元っ子、あの裏路地の名前も、何があるかも何もないのも、知っていた。
「追いかけたらお父さんが…」
再び言い淀むジェーンを、キャシーたちは辛抱強く待った。
そして。
引っ張られ、何がなんだか分からないうちに呪文が聞こえた、と言った。
「ずっとお父さんの背中を見てた」
とにかく怖かった。
何か恐ろしいことが起こっているらしいことも、父親から凄まじい殺気が放たれていることも、エルシュから聞いたことのない低い声が出ていることも。
「…おにいちゃんが倒れてた」
父親の魔法の圧に目を瞑り、気付いたときには倒れている人間を見た。
「…血が出てた」
そう言うと、ジェーンはぎゅっと目を歯を食いしばる。
キャシーはジェーンをそっと抱きしめた。
「怖いこと、思い出させてごめんね。ジェーンは何も悪くない、大丈夫だよ」
ジェーンはキャシーの肩に涙を吸わせながら、しゃくりあげながら、必死で続けた。
「お父さ…、言ったの、怪我してるから、薬がいる…て」
「おにいちゃんが怪我をしてたのね」
ロージに意識はあったのだろうか。でもあったなら応戦しているはずだから、その一撃でロージを捕え、意識を失わせる怪我を負わせているはずだ。
だがロージのシャツにはそこまで大量出血をした痕がなかった。
血を吸う前に脱がせたのだろうか。
「ヒュ…トのおばちゃ…薬屋さんなの」
しゃくりあげ続けるジェーン。背中をそっとさするキャシー。
「ヒュート?」
「とも…だち」
近所の友達のおかあさん、ということらしい。
薬屋のそのおばさんのところに薬をもらいに行け、と父親に言われたジェーンは、必死でそのおばさんのところに薬をもらいに行き戻ってきたが、既に父親もエルシュも、ロージの姿もなかった。
置いていかれたと分かったジェーンは必死で父親を捜した。
その途中でキャシーたちと出会ったのだった。
「ありがとうジェーン、ありがとう」
ぽんぽん、と背中を撫でてあやし、そのまま真剣な顔でシンディとアデューイを見つめた。
「『少年は預かるよ、これは警告だ』」
そうして、エルシュが残したのがその言葉だった。
ジェーンが去ったことを知った上で、書き残した言葉だった。
警告──自分たちを追うな。
そして、宣戦布告。
でなければ、一体何が起こることへの警告なのだろう。
ロージをさらうことが本筋で、アデューイの毒のことが警告なら流れはあうが、警告行為はロージをさらったことにある。
一体誰への警告なのだろう。
『負の魔法使い』から、我々への警告と読み取れる。
いや、実際そうだと思っていた。今も皆そう思っているのだろう、だけど──
"レベル"のキャシーが来ていることを、内通者のいる『負の魔法使い』たちが知らないわけがない。
その上での、警告。
そして張られた様々な罠にしか思えなかった。
父親が何かに感づいたから、危険から逃すためにジェーンを去らせたことを、そのエルシュという男が気付かないわけがない。
キャシーがロージたちの魔法を察知して駆けつけることもわかっていたはずだ。
つまりその場に長くとどまるつもりはなく、あっさりとジェーンを置いていった。
ジェーンを罠に使える、という判断で。
そして何より、仕組まれていた精神的なゆさぶり。
毒が入れられたものを食べようとしたアデューイ、食べてしまったロージ。
2人を傷つけることで、傷つけたかったのはキャシー。
そして今も、まんまとはまった姿を見ようと、こうして偵察用の生きているインコに見せる魔法のかかった置物を仕掛けたのだ。
置物に気付かれても気付かれなくても、キャシーの姿を見られればいいと思って。
間違いなくこの人形はロージだ──
「偵察置物潰したけど…、私の姿も皆の姿も、見られた可能性が高いわね」
キャシーは苦々しく言った。
形代陣に気を取られ、誰かが見ている可能性を見落とすなんて。
そして皆を危険に晒すなんて──…
一緒に連れてくるんじゃなかった。甘えが招いたことだ。
俯くキャシーに、アデューイは言った。
「あのさ。…君のことだから僕らのこと気にしてるのかもしれないけど、どう考えても危険なのは君だよ、キャシー」
「え?」
急に言われた言葉に反応が遅れた。
「ま、その通りよ。"レベル"が13歳の少女なのは有名な話で、ここの4人の中でそれに当てはまるのはどう見てもあなた」
シンディも客観的に、と冷静に言う。
だが、
「…そんなことはいいのよ」
投げやりに言うキャシーに驚き、呆れ、怒るアデューイとシンディだが、そのどれを出そうか迷った瞬間、
「ここにこうして来ている段階で、私の顔は晒している。もっといえば学院に入学したことで、ね。討伐に来ることだって覚悟しての入学なんだから、命の危険があることは分かってる」
その台詞にぎょっとした。
キャシーは日々、いや常に、そんな脅迫観念を──?
「そ、それを言うなら私たちもよ。討伐に来ている以上、そういうことは覚悟している。今後のことは学長や学者たちと決めましょ。過ぎたことは過ぎたこと、今は目の前の問題を片づけて行くのが一番よ」
シンディは慌てて返す。
途中から落ち着いてきて、キャシーの気を逸らそうと話題を変えて行く。
「さぁ、さっそく。この形代陣。どうやって解除するの?」
シンディが聞いた。その声と顔は、当然キャシーが解くであろうことを期待した質問をしたことを示していた。
だが。
「私には無理」
キャシーは思いがけない回答をした。
「え、──"レベル"、でも?」
シンディが目を丸くした。
キャシーの回答が何を示すことになるか、まだのみこめていない。
「魔力ワザじゃないのよ」
形代陣に描かれた魔述語から暗号を解く。
「『解く』…?」
「例えば簡単なのなら、この中の1文字を消すとか付け足すとかってことになるんだけど…まあこれはそんな簡単なものじゃないでしょうね」
淡々と答えるキャシーに、
「つまり…?」
思わず聞いてしまった。
「つまり、知識と経験から導かれるコツが必要。私には解けそうもない」
難解な数学の問題を解いていくようなものだった。
最初は基礎が必要で、基礎と公式を積み重ねて応用を解く。
「アデューイならできるんじゃない?」
「ちょ…やったこともないのに、やり方も分からないのに無理だよ」
そりゃそうよね、とシンディが大きなため息をつく。アデューイに当たったってしょうがない。
「学者たちの中に、こういうロジカルを研究している人はいるんだけど…」
ふと呟くようなキャシーのその声に、シンディもアデューイも食いついた。
「頼めないの?!」
「ロージは怪我をしてるのよね。体力的にまずい状態で、魔力をこの陣に吸われている。間に合うか…」
「それでも、僕らで無理なら頼まなきゃ」
必死で食らいつくふたりに、キャシーは一瞬眉間にしわを寄せ、
「…偏屈なジイさんなのよ」
キャシーの口から思いがけない言葉を聞いて、アデューイは目を丸くした。
君がそれを言う!?
「げ…まさか」
しかし元老院に知り合いの多いシンディにはピンときたらしい。
「そう。テラの世界に来たがらない、純血のジルバートさん」
『魔法を使えない人間』であるテラのことを見下し、自らを頂点と思っている勘違いジイさん。
例えば魔法は使えるかもしれないが、病気や怪我が治せるかといったら叶わないのに、テラの医療従事者の方がよほどすごいのに、たまにそういう勘違い魔法使いもいるのである。
「──それでも行かなきゃ」
アデューイは真っ直ぐに言う。彼の思いはいつもぶれない。
「…分かった、いいわよ」
シンディが深いため息をついてからそう言った。
「ジルバートでしょ?あの人レベルVだから多分いける。必ずここに連れて戻ってくるから」
だからあんたたちはここに残って、と続けた。
同じレベルだから多分──催眠魔法が使えるはずだ、とシンディは暗に言ったのである。
「ジェーン、私ちょっと出かけてくる。キャシーとアデューイと一緒にいてね」
シンディはずっと話が分からず黙っていたジェーンに声をかける。
「変なことはしない。お父さんを捜すためだから」
シンディは少し嘘をついた。
ただ、ロージとジェーンの父親が一緒にいるとすれば、間違いではない。
「お父さんを捜しに行くの!?」
叫ぶジェーンに、シンディはかがみ、目を見る。
「お父さんの居場所が分かるかもしれない魔法使いを連れてくるね」
でも、もしかしたら知らないかもしれないけど、ダメもとで、と言い聞かせた。
ジェーンはおとなしく頷いた。
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