Magic64. 少女     
 
 




喫茶店を後にして、大使館に向かって歩いていた。
飛ばないのはこちらの世界ではなるべくしないように言われているからもあるが、やはり皆気が重いせいだろう。
歩くことで心を落ち着け、頭を整理したいという気持ちの表れなのかもしれない。


それはいきなり、だった。

大使館に向かう道の途中、捜索で何度も通った道を歩いているところだった。

キーン…と、頭の奥の方で何かが呼んだ。
耳鳴りのようなそれは警鐘、というのが近いのかもしれない。
自然、歩みを止めていた。

「キャシー?」

音、そして──ふわり、とキャシーを包む香り。
この感覚には覚えがあった。

皆がキャシーの異様な様子を覗きこもうとした瞬間。


「!!」
キャシーは息を飲んだ。

「シンディ!あの女の子を捕まえて!」

いきなり言われて面食らったが、そこはさすが、
"πουνδ, ηερ! τηε χαγε ωηιχη χαν συρρενδερ ανδ δισμισσ ισ μαδε øρομ øλαμε"
炎の檻を出現させる。


──檻の中で叫んだのは少女だった。


しかし全て炎で形作られた檻である。
普通の檻のように、柵をつかんで顔を出すこともできず、熱で格子に近付けず、少女は中央で茫然と固まっていた。


「うそ…まさか…あの子?」
毎日毎日、捜し求めていた対象年齢に当たる少女。
キャシーがあれだけの勢いで言ったからには間違いないはず、なのにこんなにもあっさりと…?

「…ちょっと…ものすごい罪悪感だわ」
明るい栗色の髪は二つ分け。大きな目の色は茶色。
シンディが、そんなあまりに無害そうな普通の少女…まだ6、7歳くらいの少女を見て言う。
周りに他の人がいなくてよかった。いや、急に誰か来る可能性もあるが。

「上級上等な檻を出しすぎだからでしょ」
キャシーが言って、檻に、少女に近付く。
「だって相手のレベルが分からないじゃないの」
保護対象のひとりである少女も魔法使いだ。キャシーの様子で咄嗟にその子だ、と捜索活動に参加していないシンディも察した。
だが、もし自分より高いレベルであれば、簡略な檻では破られる可能性がある。
そう思ってかなり強固な檻を出したのだが…



「大丈夫よ。レベルEだから」



え…?



キャシーがあまりにさらっと当然のように言うので、全員かたまった。


──水晶がなくても、キャシーにはレベルが分かるのか?


全員が聞き返す言葉を出せず、言葉が空を切ったその瞬間、


「何すんのよ!負の魔法使いめ…!」


檻の中からのその言葉に、皆、声にならなかった息をそのまま飲んだ。
何故その呼び名を知っている!?


「あなたをかばった男と、その人とあなたに負の魔法使いという呼び名を教えた奴らのことを言わないと、あなたが負の魔法使いになるわよ」

しかしキャシーは冷静に、少女を見下ろして言った。

「え…」
少女は目を丸くして黙った。

キャシーの後ろにいた皆も驚いていた。
負の魔法使いという呼称を教えた奴「ら」という断定。やはりキャシーにはある程度の背景が見えていたのだろうか?


「いいわ、質問を変えましょう」
と、キャシーは言った。
「こうしてひとりで歩くのは、自分を追う魔法使いを釣るためなの?」
キャシーは続ける。
「つ…釣る?」
少女は明らかにキャシーを恐れていた。何か──得体の知れない恐怖、本能に障る何かを感じ取っているようだった。

「そうでしょ。ひとりで歩くあなたの魔力に気付けるような魔法使いを引き付けて、逃げた先にいる強い魔法使いに倒させる。あなたが釣って後ろの魔法使いに狩らせる、そういう流れでしょう」
アデューイたちには、少女が魔の力を持っているかは分からなかった。感知できないのだ。
だからキャシーの言うことを信じれば、というより確かだろうと確信していたが、釣って狩るというその流れに違和感はなかった。
──少女が負の魔法使いなら。

「そうやってあなたは私たちの仲間を釣って、道を曲がった先にいた魔法使いに狩らせた」
「ちがう!エルシュは教えてくれたの、あたしたちをつかまえに来る奴らがいるって、つかまったら何されるか分からないから何してでも逃げろって」

皆ハッと息を飲んだ。
それは!

「何をしてでも、って言われて、魔法使えるからって魔法で攻撃したわけ?」
「だって本当につかまえようとしに来たんだもん!必死で逃げたらお父さんが…」

「『お父さん』…──そう」

キャシーは少女の言葉を反復した。


一気に──見えてきた。


大使館の補佐官を襲ったのは少女の父親だったのだ。


「お父さんはどこなの?」
「あんたたちがこうして捕まえてるんでしょ!?」
えっ、と皆驚いた。そんな話は聞いていない。
「あたしはお父さんを捜してるのっ…!」
気丈に振舞っていた少女の目から一気に涙があふれ出した。

父親がいきなりいなくなった。
だから捜し歩いているところだった、そこをキャシーたちにつかまったのだ。
大使館の人間を攻撃した時も狩りではなく、買い物に出た時にいきなり声をかけられ追われ、エルシュの言った通りだったと必死で逃げたら父親が助けてくれたというわけだった。

「過剰防衛か」
シンディが息を吐く。
「でもそこに負の魔法使いの入れ知恵があるね」
「入れ知恵っていうか、刷り込みじゃない」
ユーロパとシンディはそう言いあう。




「泣かないの。一緒に捜しましょう」


意外なほど優しい声に驚いて、皆は声の主を探す。
…キャシーだった。

「私たちもお父さんを捜しているのよ。大丈夫、捕えてどうこうするつもりはないの。むしろお父さんが危ないかもしれないから、助けたいのよ」
「お…お父さんが、あぶない?」
少女はしゃくりあげながら見上げると、キャシーは黙って少女を見つめる。
頷く動作すらしなかったが伝わったらしい。

「あなたを痛めつけるつもりもない。あなたが私たちと一緒にいてくれるなら」
「けど…」
少女はおびえた目で周囲を見る。
ごついいかつい、炎の檻。
中に閉じ込められただけでなく、触れることすら危険な檻の中に入れられ、全く信じられないというところだろう。

「大丈夫。ほら、おいで」

キャシーはいきなり手を伸ばした。

炎の檻、炎の格子。
それに全く臆することなく伸ばした手は、格子の間に止まる。
火と火の間に手を置いているわけで、長いことそうしていたら熱いに決まっている。
いや、むしろ手を近付けるだけでもかなり熱いはずだ。

「えっ…ちょっ…熱くないの!?」
慌てたユーロパがシンディに小声で聞いた。
「熱いに決まってるでしょっ」
小声で答えたシンディの顔は引きつっている。
アデューイもビトレイもその回答に驚いてキャシーを見る。
キャシーの平然とした、炎を恐れない様子にまやかしの檻だと思ったのだが 、術者のシンディ本人がそれを否定した。
キャシーが火傷してしまう──


「あ…あつく…ないの?」

シンディたちの会話が聞こえていない少女も、かなり引き気味に聞いた。

「熱くない。だからあなたを傷つけるつもりはないって言ったでしょ」
キャシーはにっこり。

おそるおそる手を伸ばし、少女の指先はキャシーの手を捉えた。

瞬間、炎の檻が消えた。


「シンディ、消したの?」
アデューイがひそひそと聞く。術を出したシンディ本人が引くほどに、確実に炎の檻だったわけで、キャシーの身の安全を考えてシンディが消したのだろうと誰もが思った。
「…消したの、かしら…」
しかし、シンディからは意味不明な答えが返ってきた。
「えっ?」



「ほら、炎で熱そうだったのはまやかしだったのよ。ニセモノなの、中にいる人を傷つけるつもりはなかったわけ」
キャシーは手をつないだ少女を引き寄せる。
少女はしっかりつないでいるキャシーの手を見つめる。
火傷どころか、赤くもなっていない。
自分が閉じ込められた時に感じた熱もまやかしだったのだろうか。


「あなたのお父さんは、魔法使いなのよね」
キャシーが言った。
「そうだよ」
「水晶は持ってる?レベルは知ってる?」
「…?」
首をかしげる少女。その仕組みそのものを知らないようだ。

「お父さんはいつから魔法が使えるようになったの?」
シンディが質問した。不可解なことがあったが、キャシーに関して色々考えるのをやめたらしい。
「あたしの後だよ」
「え?」
事件の背景が見えてきたと思ったが、不完全なようだ。

シンディは、じゃああなたはいつから、と聞いた。少女が順を追って話せるようにしむけたのだ。
「あたし、ある日突然魔法が使えるようになったの」
それ自体は、ないことではない。
魔法使いの親を持つ子でも目覚めは急な場合が多い。

「そしたら次の日、エルシュっていうおにいさんが来たの」

やって来た男はエルシュと名乗り、自分も魔法使いであり、しかも正の魔法使いなのだと言った。

『君は魔法使いだから、魔法使いの郷に行かなければならない。そして教育を受けることになる』
と、彼はそう言った。

「でもそのためには、お父さんと離れ離れになっちゃうって」
少女はとてもつらそうな顔をした。
皆何とも言えず黙った。

子が魔法使いになっても親は基本的には郷には来られない。
乳児や幼児はそんなことはないが、この子の場合は既に最初の集団教育、つまり初等学校にいてもおかしくない年齢に達しているためだ。
勿論ずっと離れたままではなく、寮生活にはなるが、5日学校に通えば親元に2日は行かせてもらえる。

「お父さんもあたしもそんなの嫌だって言った。そしたらエルシュは助けてくれるって…!」

彼は離れ離れになりたくないと願った父娘のために、少女のことは見なかったことにすると言った。

「でも魔法の使い方をちゃんと知らないとあぶないからって、教えてくれるって約束したの」
制御方法を知らないのは確かに、間違いなく危険だ。
レベルが低かろうとテラとは違うのだから。

「いつ、どこで教えてくれるって?その日すぐ?」
思わずたたみかけるユーロパ。気持ちがはやるのは分かるが、少女相手に得策ではないのでシンディがちょっと睨んだ。

父親と違って少女の魔法は1回しか感知していない。
目覚めた魔法、エルシュという男に見つかったその魔法しかないのだ。
ここで郷という言葉を引き出したかった。

「その日は…エルシュは帰ったよ」

その日、エルシュは約束だけして帰ったが。
帰り際に『忠告』をしていった。
「でもエルシュは、『負の魔法使いに気を付けろ』って言ったの」
少女の顔つきが険しくなる。
「エルシュはいい魔法使いだから、お父さんと離すことはしないけど、悪い魔法使いは絶対にお父さんとあたしを引き離そうとするって!」

ビトレイはつらそうな顔でこれを聞いていた。
カラハが親と離れた時やその後のことを思い出したのかもしれない。

エルシュという男が指す『悪い魔法使い』は学者たちのことを示しているのだろう。
確かに彼らは時に無情に、親子を引き離すことがある。
それがお互いのためだと思っているからだ。
教育、つまり学校が休みの間は親と会えるわけだから、親子関係にそこまで大きな影響を与えないはずだ、と。
それよりも魔法が制御不能であらゆるものを傷つける恐れの方を優先している。
冷静に考えればそれは正しい、のだが…。


「それで…あなたはエルシュと2人でどこに、魔法の使い方を教わりに行ったの?」
「お父さんも一緒だよ!」
「え?」
困惑するシンディ。
「──お父さんが魔法使いになったんだね」
少女に確認するように、シンディに納得させるように、アデューイが言う。
少女が頷くのを見て、
「…悪い魔法使いが来たのね」
キャシーが呟くように続けた。
その目は少女を越えてどこか遠くを見つめているようだった。

少女の指す悪い魔法使い──つまり学者たちから指示を受けて、大使館の人たちが少女を探しに来たのだ。

「エルシュが言ったとおりで、あたしはお父さんと離されそうになって、それで…っ」

それで、父親が魔の力に目覚めた。

無理矢理連れていかれそうになる娘、その助けを求める様を見て、父親は覚醒したのだ。娘を護るために。

「それで悪い魔法使い、たちは?」
「いなくなってたよ」
気付いたときにはいなくなっていたということらしい。

「しばらくしたらエルシュが来たの。それでここはあぶないかもって、お父さんと3人で郷ってところに連れていく約束してくれた」

郷、という言葉が少女の口から出た。皆は知らずつめていた息をほっと吐く。
でも何故か晴れない、のは。

「…なんかおかしくない?大使館の人たちそんなことするかな」
「中にはいるでしょ」
ユーロパの疑問に対し、ビトレイが吐き捨てるように言う。
内通者がいるくらいなんだから、今まで自分たちが見てきた彼らの姿を信じられない──そんな心境なのだろう。

「いや…それ以前に、そんなことしたって話聞いてないよね?」
と、アデューイが言った。

皆黙ったまま互いに顔を見合わせる。
その『悪い魔法使い』は本当に『悪い』、つまりエルシュという男とグルだったのではないか?

ただ、キャシーたちには大使館に『エルシュ』という名前の男がいるかどうかも分からない。
つまり現状、そのエルシュが内通者なのか、負の魔法使いとして捜すべき相手なのかが分からないのだ。…勿論、どっちでも負の魔法使いではあるのだけれども。

アデューイたちが言葉をなくしたのを見て、キャシーは少女に聞いた。
「今『約束した』って言ったわね。郷にすぐ行かなかったのはどうして?」
「行くには準備がいるって…」
それでエルシュは二人の元を一旦去り、その間『捕まったら何されるか分からないから何してでも逃げろ』という「忠告」をしていき、そして大使館のあの補佐官は攻撃を受けてしまったのだろう。

「それでも行ったんでしょう?いつ行っていつ戻ったの」
「その次の日にはもう。昨日の夜に帰ってきた」
その間ずっと郷にいたということになる。


「そのー…郷に行く時──お父さんとエルシュ以外で知らない人に会わなかったかい?」

アデューイは少し気合いを入れて聞いた。


アデューイのその質問は核心をついていた。
皆がごくっと息をのみ、少女の回答を待った。


「──うん、いたよ」


その言葉に何人かがため息をつく。

「すごく大きな絵が壁にあって、そこで待ってたおじさんが魔法をとなえたら、知らないところにいたの」

大きな絵とは魔法陣のことだろう。
それはおそらく大使館の中の、皆が使っている郷とこっちを結ぶ魔法陣。
そこにいた「おじさん」は──大使館の人間。
彼が発動魔法をとなえ、少女たちを郷に送ったのだ。


「絵があったところは、大きな建物の中?」
「分かんない。エルシュが秘密の入口だから見せられないって、目隠しするんだもん」
ひとりで勝手に来ちゃ危ない場所だから秘密、と言ったらしい。

「どこから目隠し?結構歩いた?」
「ホテルにいたの。エルシュが迎えに来てくれて、そこから目隠し。いっぱい歩いたよ」
幼い子供の足だし、目隠しをしての行動だから実際の距離は分からない。ホテルの名前も覚えていないという。
今のままだと大使館の中だと断定はできない。周囲のホテルに少女を連れて行ってどこかを断定し、子供の足で行ける範囲でしぼって…とすれば分かるかもしれないが、もっと簡単な方法がある。

「実際に大使館の魔法陣を見せればいいんだよ」
ビトレイが言う。
「侵入経路とか一切不明だけど、それだけは確かでしょ」
いずれにせよ少女を野放しにはできないので、大使館に一緒に行ってみよう、という意見になった。


キャシーは黙って少女を見る。

「どうかした?」
アデューイが気付いて声をかける。

「大使館にこの子を連れていくのは危ないかも…」
キャシーは目を細めた。
その様子にアデューイはハッとした。──キャシーがこんなにも、自信のなさそうにしているのを見たことがない。

「でも大使館に連れて帰って、その「おじさん」の顔を教えてもらわないと」
ユーロパが言う。
彼女は内通者、裏切り者を許せないのだろう。

「それが危ないって言ってるの」

少女は内通者の顔を知っている、言い換えれば内通者も少女の顔を知っているということになる。
連れ帰ったら逆に口を封じられてしまうのではないかと恐れたのである。

「私たちが守ればいいじゃない」
シンディが強い目でキャシーを見る。
おそらくその「私たち」はレベルV以上の自分とキャシーを指している。あとビトレイもいるが。
大使館にいる魔法使いたちの中で自分たちはぶっちぎってレベルが高い、だから守れると思っている。


そう上手くいくだろうか?



魔法陣があるのは間違いなく大使館だろう。
でも少女は3人で魔法陣に向かったと言っている。魔法陣の前で初めて自分たち以外の、知らないおじさんがいたと。
少女が目隠しをしている間にこっそり先導がついたのかもしれない。その先導は当然内通者。
大使館の人間がついていれば中には入りやすいことは間違いないが──いくら大使館の人間だと言っても子供を連れて大使館に入ったら目立つ。
どこから入ったのか、どうやって入ったのか。
どうすれば誰の目にもつかずに入りこめるのか。

内通者は──大勢いるのではないか。


キャシーは不安だった。





   

 
 
 





 

あとがき



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