Magic55. 油断     
 
 




各人がそれぞれの班について、色々と町中回って、時間になったので大使館に戻ってきた。
生徒たちは夜の活動が認められない。持久力や集中力、忍耐力が若い故に欠けると判断されるためだ。


昼過ぎからの捜索であり、慣れないこの世界での活動であるため、初日はそんなにがっつりと回ったわけではなかったが、特に手がかりも見つからずに戻ってきた生徒たちは皆一様に疲れ切っていた。
普段置かれないような緊張状態の場所に行かされたり慣れないことをしたりと、かなりの高負荷がかかっていたからだろう。
空気──大気、大地のにおい、風の流れ。太陽の輝き。何を取っても郷とは違う。
それもあって早く帰されるのかもしれない。


各班の明日に向けてのミーティングは、食事の後行うと指示され、夜も食堂か、と皆でぞろぞろ向かう。
許可なき外出は厳禁だし、その許可もおりやしないといったところか。
ただ疲れきっていた生徒たちに外でどうこうしようという気力は皆無であった。

「夜はバイキングじゃないといいな…」
ロージが呟いた。
「そんな食べ物の嗜好、よく言ってられるね…」
アデューイは乾いた笑いを浮かべた。
キャシーも食事よりも休息休眠の気持ちだったが、さっさと食べてさっさと寝ようと思った。


食堂に1歩踏み出した途端、
それまでざわついていた声が、
波のように一斉にサーっと静まっていった。

え、と生徒たちは思った。


──そしてひそひそと聞こえ出す声、声。

沈黙の時間はどの程度続いたかはよくわからなかった。
でも明らかに全員こちらを見て反応した。
今も遠慮なく見てくる視線、横目でちらちら見てくる目線。


「…私よ」


キャシーが呟くように言った。
「え…」
「"レベルZ"の魔法使いが来てるって聞かされてるんでしょう」

キャシーの眼には見えていた。
赤々としたオーラの集団が。


野心。
キャシーを倒して我こそが"レベルZ"になろうという思いの色。

レベルが中くらいの、大使館の人間たちくらいが一番そういう思いが強いことは予想してきたが、この赤黒さは想像以上である。

学院の生徒たちはそれぞれ超級なだけに、高いレベルを持つ者の宿命をよく噛み締めているせいか、あまりこういう気持ちの人はいない。
或いはシンディの教育(実技授業での模範は自分のレベルを奪われないための「指南」だったのではないかとキャシーは密かに思っている)の賜物かもしれないが。

「え?じゃあなんで昼間は平気だったんだよ」
ロージが言うと、キャシーは淡々と答えた。
「昼間は来て間もなかったし、ここにこんなに人はいなかった」
皆まだ捜索などの活動に出ていた時間だったのだろう。


──だから、キャシーは少し油断していたのかもしれない。
ここにこうしているアデューイもビトレイも、ユーロパもロージも、キャシーを倒してやろうとする暗いオーラは見えていないから。
ここは学院でも、郷でもない。
寝首をかかれたら確実に"レベルZ"はその者の手に落ちる。

慢心か…それとも。

キャシーは背中を流れる冷たい汗を感じ、ぎゅっと手を握りしめる。

もう皆の目線はほとんどキャシーからそれているが、それでも"Z"のことを考えていればゆらいで見えるオーラ。

こういう世界で生きてきたはずなのに、こういう気持ちで生きてきたはずなのに──
私はいつの間に、何を甘えているのだろう。

「はいっキャシー」

いきなり手渡されたトレーに面食らう。
何よ、と顔を上げると、アデューイの笑顔が迎え撃った。

「夜は皆同じものを食べるんだけど、温かいのを出してくれるんだって!そこの列に並ぶらしいよ」
トレー持ってねっとにこにこ言うアデューイ。

「へぇー結構豪華だねぇ」
アデューイはキャシーの背中を自分のトレーで押し急かすようにしてキャシーの歩みを進ませた。

「ちょっ…」
痛くはないが、何するんだと不快をあらわにするキャシーに、
「ロージがお腹すいたって言ってるし、早く並んで食べよう」
アデューイは笑顔を崩さない。
「は?何で俺…」
「さっきそう言ってたじゃないか」
「そうは言ってない!忘れたのか?」
「バイキングじゃなくて良かったねえ」
「覚えてんじゃねーかっ」

というよくわからないやり取りをしているうちに、食事をもらえる順番が来てご飯を食べることになっていた。
こういう事態収拾は、アデューイの右に出る者はいないなとビトレイはぼんやり思った。



あまり何も話さない夕食を皆ここに心あらずで終え、それぞれの班で各人明日についてのミーティングを行い、その後静かに部屋に戻って行った。
…明日からは本格的な活動になる。


夜、シャワーからキャシーが戻ると。
ビトレイは既に眠っていたが、ユーロパは本を読んでいた。
もともと声をかけようとも思わないが、えらく真剣に本を読んでいるので、静かに動くことにした。

キャシーもタオルを部屋に干したり、洗面用具を鞄に戻したりという作業をして、寝る準備に入った。
この世界ではもともと、今みたいな『魔法厳禁態勢』でなくとも必要以上の魔法を使わないよういわれているので、宿泊用鞄を自分の近くの『空間』にしまって持って来ることができずに手持ちした上、その後は出しっぱなしだし、自分の手で色々しなければならない。
…それが『普通』だったのに。

髪を乾かしてベッドにもぐりこむ。
まだ読んでるのか、とユーロパの方をちらっと見て寝ようとした。

「…あ、キャシーって…明るいと眠れない?」
すると、目線に気付いて慌ててユーロパが枕元の電気に手を伸ばした。
「…別に」
むしろ。

するとユーロパが動いた拍子に、読んでいた本が見えた。

「それ…」

キャシーは何となく起き上がった。

「あ、…気付かれた」
ユーロパはへへ、と笑った。

彼女が読んでいた本は、『魔法の詞』集だった。
今まで発見されている一般的な詞や、研究された結果生まれた詞、応用方法などが載った魔法使いの『バイブル』ではある。
しかし学院にいる生徒が改めて読むようなものでもなさそうだと思う。
主としてレベルが低い魔法使い、或いは魔法使いになりたての者が読むものだ。

「これね」
ユーロパが表紙を見せてきて、タイトルを見た。
その魔法書は──土の魔法について書かれたもの。

「私が今回呼ばれた理由が、相手が土の魔法を使ったことによるものだとしたら、しっかり封じられるようにしようって思って」
キャシーは何となく頷いた。
勿論他のメンバーも土の魔法が使えないことはないだろう。ただ普段使いなれている人にはかなわないのである。

「何よりね──相手もこれを読んでるんじゃないかと思ったの」

キャシーはハッとした。

「本当に負の魔法使いが『保護対象』についていたとしたら、目覚めたばかりの人なのだから、これを確実に読ませると思うのよね。初歩的なことは何だって載ってるから、自分で理論は分かった方が使えるようになるし。実際全く制御してないよりは…って状態だったから大使館の人を殺さないで済んだんだと思う」

もしこれを読んでいるのなら、この本の詞を封じる方法を探していけばいい。
詞を言いかけたらどんな魔法を出そうとするのかがかなり早い段階で分かるので対処も早くなる。
『保護』をあくまでも目的としている以上、攻撃に攻撃をぶつけたりしては傷つけてしまうかもしれない。

キャシーはそう、と小さな声で言ってベッドに深く潜った。




     


「…キャシー、もしかして朝弱いの?」
翌朝、ちょっとびっくりしたように笑うアデューイが、今日最初にキャシーに声をかけた勇者である。
同室のビトレイもユーロパも、とてもではないが何も言えなかった。

「機嫌悪っ」
ロージがびびったように声を上げる。

まだ半分夢の中のような目付き。
いつもだってわりと睨みをきかせた目をするのに、その据わり方はびっくりする。
髪は綺麗にくるくるしているが、止め方が乱雑。
それもそのはず、髪のカールはイラセスカがもたらす副産物なので勝手になっているが、止めるのはいつも魔法だったので、自分でやるとひどいことになる。

「機嫌悪そうなのわかってるなら声かけないで」
でもキャシーの掠れた声は、皆をびびらせるというよりは、お互いこっそり目配せしあってこっそりふふっと笑わせた。


キャシーに朝食の記憶はほぼない。

「先行くよ」
ユーロパの支度が遅いので、どうせ別の班だし置いていくとビトレイは言ってさっさと出ていった。
キャシーもそこから遅れること数分、あきれたビトレイにやり直してもらった髪を翻して出た。
頭をすっきりさせる時間分遅れた。


     


「じゃあ今日もこれを」
捜索に行くチームの班長に渡されたのは、小型犬。見事な愛玩犬だが、立派な仕い魔である。
入口のある表通りを張る、或いは中に入る班長たちと連絡を取るのためには本来であればこの仕い魔の犬を使うが、犬に喋らせるのは魔法が必要になる。そのため、犬を通じた直接の会話ができずに捜索が更にやりにくくなっている。
それでも万が一の時では話すのだろうし、それを見越して手渡されるのだろう。

キャシーとロージが配属されたのは、2人を含めて全5人の班だった。
班長はレベルS。あと2人はレベルJとK、つまり中級の補助員。全員大使館の人間だ。
アデューイたちの班やユーロパたちの班を聞いても同じようなレベル構成らしい。
しかし捜索隊は『前線』だ。
レベルの低い魔法使いたちを行かせても怪我人が増えるだけなのに。
つまりそれほどまでに超級の魔法使いは少ない。だから生徒の手も借りるというわけだ。


──負の魔法使いの活動が活発化していると言った。
そんな中、こんな状態では子供とはいえ超級が呼ばれる機会が増えるのはもっともだった。
そしてこれが現実。
長、私は…。


「昨日寝る前にふと思ったんだけどさ」
ロージがぼそっと言った。
裏口を確認して、少しだけ離れた場所に動きながら、キャシーの抱く犬を見た。
「これ仕い魔だろ?魔法使って出してるんだろ?いいのかよ」

キャシーはひどくあきれた顔をした。それはもう分かりやすくあきれた顔を。

「な…なんだよ」
「…いくつか考えられるけど」
キャシーは裏口に目を向けた。

「1つ目はこの子が厳戒体制前から出ていたか。ペットのように仕い魔をずっと出しておく魔法使いも少なくないから」
魔法を使わないように、となる前に出現していれば新たに出す必要はない、つまり魔法を使っていないということになる。
「2つ目に、その魔法の性質。仕い魔は喚ぶときにだけ魔法が必要だから、こうしている間にも魔的な波動がこの子たちから出ているわけじゃない」
そんなことも知らないの?とキャシーは込めたつもりである。
目も顔も体も裏口をしっかり向いているので、ロージからはその語る表情は見えないが…

「3つ目は、大使館の人が大使館内で魔法を使うこと。日常的に郷とこっちを行き来していたら、魔法を使うのを感知しても多分気にしない」
「…ん?じゃあちょっと待てよ…俺の昨日使ってしまった魔法、大使館の人に言えば何の問題もなく済んだのか?」
「そういえば昨日のお咎めないわね」
肯定のかわりにそう返すと、ロージが何やらブツブツ言っているのが聞こえたが、無視した。


「たまに小さな女の子がパンを買いに来るそうだ。その子がどうかを確かめる」

いきなり声がした。
キャシーとロージはびっくりして声の方を見ると、レベルJの班員が伝言を伝えに来たようだった。
仕い魔が喋れたら、班長ともうひとりの班員から離れなくて済むのに。

「確かめるって…」
ロージが言うと、
「大使館から数人増員要請する」

大使館から補助員と仕い魔を呼び、見張らせて自分たちは捜索を続けるということらしい。
怪しかったり気になる情報があればレベルが低くても見張りに使って、何かあれば駆けつけるということにしているそうだ。

「ここパン屋さんだったんだ」
キャシーは店を仰ぐ。
「…こんだけいい匂いがしてて、それかよ…」
ロージが珍しく多くの同意を得られそうな呆れ顔を浮かべた。


     


結局、パン屋の見張りから連絡がくることもなく。
その他目立った収穫もなく、その日が終わった。

昨日と同様、それぞれの班ごと明日についてのミーティングを行い、その後部屋に戻って行った。…ひとりを除いて。

「ロージ、昨日のことだが…君の魔法記録があったのだが」
リーダーが魔法紙を手にやってきた。

ミーティングが終わるのを待って現れたリーダー、その話の内容に班の全員がぎくっとした。
勿論同じ班の大人たちは知らないが、キャシーはばっちりその「魔法を使った現場」に居合わせていた。
昨日のことだけれども、今日1日ロージは捜索に出ていたため、聞くのが今になったらしい。

「そんなに大きな魔法ではないようだが…使わせたのか?」
リーダーは班長に尋ねる。
班長は大きくかぶりを振る。とんでもない!私のせいじゃない!とアピールしているらしい。

キャシーはリーダーの手にある魔法紙に目が止まる。
赤と黒の波形が描かれているが、それぞれ周期は同じなのに振幅がかなり違うようだ。
最初に見せてもらった『保護対象』の波形は赤と黒の波形が1つに重なっていたというのに…

「あの…その、ユ…ユーロパが寒いって言うので、暖かくする大気の魔法を唱えてあげたんです」

ロージはおずおずと言った。
間違ってはないが、ユーロパは別に魔法をかけてほしいと言っていない。寒いと言ったのも彼女ひとりではない。そもそもロージはユーロパの保温魔法をかけてあげていない。
キャシーは出た、と思いながら会話の行方を見守った。

「あの魔法か」
リーダーは心底まずいという顔をして、
"øαν ουτ ιν αλλ διρεχτιονσ, ατμοσ ωηο ηολδ ηιμ"
いきなりロージに向かって魔法を放った。

え!?

とさすがにキャシーも緊張したが、リーダーの魔法の後、ロージの体から何かが剥がれ落ちたような不思議な香りがした。
それで分かった。今の魔法が何か。

「大気の保温魔法は、それをずっと身にまとっていることになる。このレーダーが捉えられる部分としては魔法を使った瞬間だが、相手は魔法の波動を感じられるんだ。ロージの近くに奴らが来た時に気付かれる」

これを聞いたキャシーはロージを見つめ、しまったと下を向いた。


──私には分かるのに。分かっていたはずなのに…!


魔法使いの波動も、その魔法使いが自らにかけている魔法の波動も、分かるのだ。多分、誰よりも敏感に。
だけどロージが自らにかけた魔法、それが一体何なのかをキャシーは目の前で見たために『分かって』いた。そしてロージは常に一緒に行動していた。
これらがキャシーから警戒すべきことを逆に欠落させてしまったのだ。



ぽん



思わぬ刺激に顔を上げた。
リーダーがキャシーの頭に、ぽん、と手を置いて部屋を出て行ったのだ。

え…。

それは──
気にするな、仕方ない、今度からは気をつけろ。
そう言っているようで。


あの人、一体なんなの?








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あとがき


 
 
 


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