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「では試験場に行きましょうか」
とメガネ女史(ナゲメというのだそうだ)が言うと、ウレンは書類の置かれた机の中央にあった魔術語で"試験場"と書かれた紙をひらりっと人差し指と中指で挟みつかんだ。
「"τρανσφερ"」
ウレンのその声に、面接会場が光り輝いた。『魔法の詞』に反応したのだ。
試験場が魔術語で書かれていたのは気取ったわけではなく、それ自体が魔法陣だったのか。
ウレンはそのまま、紙――魔法陣をキャシーの方に指で飛ばした。
さすがに普通の紙ではないので、空気抵抗など全くなく、一直線にキャシーの足元へ。
だがキャシーは何か来たけど見るのだるいわね、という感じでちらりと目線だけ足元に落とす。
瞬間、魔法陣は紫に発光し、そのまま数m範囲の生き物が一斉に転移魔法で空間を移動する感覚を覚えた。
やはりあの面接会場では戦わずに場所を移すのか。
何よりあんなところで戦ったら教室がめちゃめちゃだ。
でも結界がはってあったような。一応外部の人間を中に入れるから、防犯上の意味なのか。
それにしても、とキャシーは腕を見る。
これをつけてて良かった、と手首にはめ込まれた金色に輝く硬いリストバンドに映る自分を見つめた。
転移魔法で飛んだ先は、明らかに異空間で、ドーム状の結界がぼんやりと見える。その外側にぽっかりと大きな鏡が空中に浮いている。見ようによっては空中にはめこまれたようにも見える。
高さ1m、幅が3mはありそうな鏡に映った人間を数えると、3人しかいなかった。
キャシーは特に何も尋ねなかったが、ナゲメはキャシーの視線の先から不思議に思っているであろうことを想像して言った。
「あとの2人はあのマジックミラーの向こう側にいるわ。私も始めの号令をかけたらあそこに飛びます」
受験者から他の試験官が見ている姿を見えないようにとの配慮なのだろうが、あんなところに鏡が浮いていたら明らかに怪しいし、大体キャシーにはマジックミラーの中が見えていた。
「早速だけど、準備がいいなら始めたいと思うのだけど…」
ナゲメが言ったのは心の方の準備のことだが、キャシーはのんびりとあの〜と言った。
「私、今"レベル"じゃないんですけど。このまま試験します?」
え?と振り返ったウレンとナゲメの目線は、水晶に向かった。
キャシーの胸元のレベルを表すその水晶には、…何も映ってはいなかった。
「私が今つけているこれら全部、出力制限アクセサリーなんですよ」
イヤリング、ネックレス、リストバンドにグローブ、ブーツの飾り。キャシーが全身につけているアクセサリーは全て出力制限アクセサリー、通称イラセスカだった。
あまりに強い魔法使いは、彼らが放つその強すぎるオーラにより周囲が弱ってしまったり、大した力が必要ではない場合にうっかり大きな力を使ってしまったり、その他日常生活に良からぬ影響を及ぼす可能性がある。 その例が今の転移魔法でも言える。
もしキャシーが"レベル"の状態なら術にはかからず、ここへ共に転送されることはなかっただろう。
レベルが自分より低い者の術にはとかくかかりにくい。
「では…」
ナゲメが言い淀むと、キャシーは淡々と
「そうですね。今の私はレベルS程度でしょうか」
と答えた。
普段からイラセスカによってレベルを制限し、レベルS程度で生活しているキャシー。
だから彼女の自宅玄関はレベルS以上ならば飛べる限界値、500mの高さに設定されていたのだ。
しかし全身についているアクセサリーが全て出力制限アクセサリーなのだとすれば、それだけつけてもなおレベルS程度というキャシーの力は一体…?
下げに下げて「程度」と言われたレベルSである2人の事務員はマジックミラー越しに。
そしてかろうじてその1つ上のレベルTのナゲメとウレンは、恐れと嫉妬にも似た怒りを持ってキャシーを見つめた。
だが、彼らの心は決まっていた。
「…」
と見つめ合って。
「勿論、外してやってくれ」
そう答えたのは、ウレンだった。
キャシーはちらりとウレンを見やる。
「外してもらえます?」
とナゲメも言った。
背後のマジックミラーから、他2人の視線を感じる。
その視線には怖いもの見たさのようなものを感じた。
…私は猛獣じゃないんだけど。
「…そうですね。それがいいのかも」
そう言ってキャシーは右手を左耳にあてた。
「"ρεμοŵε, φεωελρψ"」
…何かが、カチリと外れる音がした。
すると右手首に巻かれていた硬いリストバンドが落ち、左耳の大きなイヤリングも落下した。
それに倣って左手首のリストバンドも右耳のイヤリングも。
そのまま手を胸のあたりでかざすと、マントの留め具飾りにしていた大きな4つのリングも落下し、キャシーの足元で派手な音をたてた。
するとそれが号令だったかのようにブーツの飾りも小さな音をたててとれた。
その瞬間、胸元の水晶が発光する。
金色に輝くその光に思わず魅入られたように見つめると、青緑色の水晶にゆっくりと文字が浮かんだ。
―――そう、""の文字…。
キャシーは手を顎あたりまで持って行きかけて、そのまま下ろした。
そして彼らを振り返る。
彼女の全身から吹き出るオーラ、迸る光はウレンとナゲメから言葉を奪った。
どこからも風は吹いていないはずなのに、風に吹かれたような感覚。
どこにも火の手は上がっていないはずなのに、激しい熱気にあてられたような感覚。
だが一方でこのとんでもないオーラを放つまだ幼い少女への恐れから、背中を冷たいものが流れる感覚も。
それらを同時に感じ、彼らは言葉を失った。
――完全に、圧倒されていた。
そしてマジックミラーの向こうの2人の事務員も。
キャシーの近くにいなかったのはある意味幸いだったのかもしれない。
ミラーに手を当てて食い入るようにその様子を見ていた男の方が気付いた。
「オーヒ…」
そして一歩後ろで呆然としている女を呼んだ。
「ミラーが…湾曲してる…」
手をミラーに押し当てていたから気付いた、その事実。
向こう側のキャシーのあまりの力に、ミラーが圧迫されていた。
「ではこの状態で。――ウレン先生のためにも、全力で戦わせていただきます」
そう言って、キャシーは笑った。
ナゲメもウレンも、彼女の笑い顔を見たのはそれが初めてだった。
だがその笑顔は。
にやり、と挑戦的で、そして――人を小馬鹿にしたような笑い方に、ウレンには見えた。
自分のレベルが低いことを嘲笑されたような気がして、思わずウレンはカッとなった。
それが全てキャシーの計算ずくだったとも知らずに。
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